豊田章男会長退任の舞台裏 自工会はどうやって生まれ変わったのか池田直渡「週刊モータージャーナル」(2/9 ページ)

» 2023年12月11日 07時00分 公開
[池田直渡ITmedia]

 以前、完成検査問題が起きた時、筆者がその原因を探って取材を重ねた結果、どうやら原因はJAMAにあったことにたどり着いた。ただそこにたどり着くまでに時間が掛かり過ぎて、残念ながらネタの旬が過ぎてしまい、記事は結局お蔵入りになった。部分的には何度か小出しには書いているが、まとめて記事にはならなかったのである。もっと早く真相にたどり着いていればと悔やまれるが、そこは最初の見立てを間違えた筆者が悪い。

 筆者は当初、道路運送車両法施行規則ができた昭和26年(1951年)制定のルールの見直しを行わず、技術の進歩も顧みず、完成検査のアップデートを阻んできたのは国交省だと考えており、その線で取材を進めた。こういう取材はある種の内部告発でもあるので、各所に匿名を条件にコツコツ取材してみると、むしろ国交省はどんどん改善することを奨励しており、本当に大ブレーキをかけていたのはJAMAの分科会だったことが分かってきた。

国土交通省

 当時のJAMAは何を決めるにも全会一致が大原則。そこに寄合世帯の悪癖が出た。トップ3社はともかく、会長を出さない社にとっては、JAMAに人を出すのはまさに余計な仕事。どうせ大した成果を上げるわけでもない組織なので、最初から期待は何もない。むしろ面倒な業界内のお付き合いという認識の社が多かった。

 そういう嫌々参加している社は、員数合わせのために若手社員を送り出す。当然決裁権など何も持っていない。うっかりしたことを決めてくれば、「余計なことを決めてきやがって」と社に戻ってお灸を据えられる。だから分科会の決議で何か新しいことを決めようとすれば、彼らはひたすら反対する。筆者がたまたま聞いたのはダイハツの例だったが、ダイハツだけがやっていたわけではあるまい。言ってみればまあ全社同じ穴の狢(むじな)である。

 JAMAの現場だけではない。トップ3社は3社で、会長を出した時だけ好きなようにやる。前任会長の進め方を継承することなど端(はな)から考えておらず、ブランニューのフリーハンドで新しい方針を打ち出す。ちゃんと調整して既存方針を理解しつつ、継続的に進めようと思えば、大勢の社員を出向させ、自社で給料を払いながら、大汗をかいてJAMAの仕事を回すことになる。そんな丁寧な仕事をしても誰も褒めてくれないだけでなく、過去の実績に鑑みれば、結局何も生み出せるわけではない。はかない2年の命である。貧乏くじは誰も引きたくないから、やりやすいことだけをちゃっちゃとやって済ませようとしてきたのだ。

 裏返せば、JAMAのプロパー職員100人は2年ごとに変わる会長の方針にひたすら振り回されてきた。会長が変われば今までやってきたことをまずゴミ箱に捨てる。そして新会長の気まぐれな新方針で業務を進める。ついでにいえばそれもまた2年後にはゴミ箱行きが確定している。2年ごとの朝令暮改。それでモチベーションを上げろという方が無理だ。

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