豊田章男会長退任の舞台裏 自工会はどうやって生まれ変わったのか池田直渡「週刊モータージャーナル」(5/9 ページ)

» 2023年12月11日 07時00分 公開
[池田直渡ITmedia]

豊田社長退任会見の真意

 モビリティショーからさかのぼること10カ月、23年1月26日に、豊田氏は突如、トヨタ自動車の社長退任を発表し、同時にJAMA会長退任の希望を伝えた。会長本人の公式な説明としては「私自身が言い出しっぺで、JAMAの正副会長は各社の社長と決めたので、そのルール(不文律)に従って自社の社長退任のタイミングでJAMA会長職から身を引きたい」とのことだった。

辞意を表明した自工会の豊田章男会長(日本自動車工業会のWebサイトより)

 それも事実なのだろうけれど、側近周辺から漏れてくるもう一つの理由は、JAMAの会長会見で敢然と政府方針に異を唱え「敵は炭素であって内燃機関ではない」と「マルチパスウェイ」を主張したことへの必要以上の猛批判がJAMAに向けられたことも原因の一端であったのは確かだ。

 どこにいても、何を言っても常に目立ち、批判の矢面に立たされる豊田会長が会長職にあることでJAMAに不必要な逆風を呼んでいると、そう本人自身が考えていたことも大きい。「俺がやっているとJAMAに迷惑がかかる」。筆者の印象としては、退任決意の理由としてそちらの方が強かったのではないかと思っている。

 ついでに書いておけば、世論的には役職というと欲しがるものと考えがちだが、たぶん自分ごととして考えれば、役職なんてそんなに欲しくないのではないのか。特に高いポジションは責任も重く、激務で、あまり良いことはない。トヨタの、そしてJAMAの顔として、新幹線のグリーン車に乗ってさえ、疲れた顔ひとつできず、常に見られる自分でいなければならないこと一つ取っても嫌過ぎる。

 当時、世界最多を記録した阪急ブレーブスの伝説的盗塁王、福本豊が、国民栄誉賞の打診に対して「そんなもんもろたら、立ちションもできなくなるわ」と言った言葉を思い出す。豊田会長の退任について、世の中では「慰留されることを見越した出来レースだ」という報道もあったが、そんなことはない。あの時、豊田会長は本気も本気、むしろ何が何でも辞めたい。そういう強い意志が明白にあったのだ。

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