11月22日に日本自動車工業会(JAMA)は定例記者会見を開催し、年明けからの役員交代を発表した。会長職は、これまでの豊田章男トヨタ自動車会長から、片山正則いすゞ自動車会長へと交代する。どちらも個社の会長でありながらJAMAの新旧会長なのでちとややこしい。
なんだそれだけのニュースかと思うなかれ。ニュースを理解するために重要なポイントは、それ以前がどうだったのかをキチンと押さえることだ。
これまでの不文律として、JAMAの会長職はトヨタ、日産、ホンダの3社で任期2年の回り持ちとなっていた。その意味するところは、「JAMAは売上高が大きく、かつ乗用車の、しかも登録車の方ばかりを向いて仕事をしてきた」ということでもある。なのでこれまでの慣習からすると、異例の人事であるのは確かだ。そこで今回は、片山氏の会長就任までの流れを丁寧に書き記していくつもりだ。それはJAMAの生まれ変わりストーリーそのものだからだ。
さて、ここからはJAMAの悪口である。JAMAは本当にダメな組織だった。と書くと、日頃付き合いのあるJAMAの面々の顔が思い浮かぶのだが、それはそれとして思い浮かべつつも、ここは本当のことを書く。要するに因習型の運営で、モノも決められなければ、新しい世界を開拓していくことなど到底できない組織だったのだ。
そもそも、日本は世界に冠たる自動車王国であり、いわゆる白ナンバーの登録車だけが特別偉いわけではない。黄色ナンバーの軽自動車は、今や国内乗用車の4割を超える一大勢力だし、2輪に至っては世界4大メーカーが全て日本企業だ。もちろん物流の世界を担う商用車も極めて重要な自動車王国ニッポンの構成員である。だから3社回り持ちというこれまでの慣習自体が間違っていた。商用車のトップメーカーであるいすゞから会長が出ることが「異例の人事」と受け止められる現状そのものが間違っている。そういうしょうもない組織が大きく変わった話がこれから始まる。
筆者が自動車雑誌の編集部にいた頃は「JAMAなんて伏魔殿だよ」といううわさを聞いていたし、そもそもJAMAは自動車ジャーナリストや雑誌媒体などと付き合う気すらなかった。大手の新聞や放送局を、記者クラブに呼んでさえおけばそれでいいとたぶんそう思っていたはずである。
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