この記事は、パーソル総合研究所が2023年11月20日に掲載した「人的資本情報開示にマーケティングの視点を――『USP』としての人材育成」に、編集を加えて転載したものです(無断転載禁止)。なお、文中の内容・肩書などはすべて掲載当時のものです。
USP(ユニーク・セリング・プロポジション)とはマーケティング用語で自社の強みや他社にはない特長を意味する。顧客に対し競争上の優位性、自社ならではの価値を説明するのがUSPであり、いわば会社の「売り」だ。
人事領域ではなじみのない言葉かもしれないが、これからはそうではなくなるかもしれない。投資家を自社の潜在的な顧客と見れば、人的資本情報をどう開示するかは自社のUSP=売りをどう表現するかと同じ思考が必要になるからだ。
人的資本情報の中で投資家の関心が高いとされるのが企業の人材投資だ。経済産業省が開催した人的資本に関する研究会の資料では、機関投資家は投資を行う際に「人材育成・教育訓練への取り組み」を考慮する比率が高いことが指摘されている。背景には、同資料の中でも紹介されているが、日本は企業の人材投資が他の先進国と比べて極めて低く、かつその傾向が強まってきたことが挙げられる(※注1)。
この結果をもって「日本企業は人材投資を怠ってきた」と結論付けるのは早計だ。統計的に把握できるのはOff-JT、つまり職場の外での教育研修が中心で、日本企業が長らく社員教育の基礎としてきたOJTは含まれないからだ。背景に、OJTは職場ごとに実地で学ぶものであるため実態が見えにくく、また人事部ではなく事業部門などが主体で行うものであるため、投資額としても把握されにくいという事情がある。
従って、OJTまで含めれば日本企業の人材投資はさほど低くないという見方は可能だが、いずれにしても企業の人材投資がこれまでブラックボックスだった点は否めない。投資家はいま、人材投資への姿勢から企業の未来を予測しようとしている。既存事業をスケールさせるために社員のスキルアップに力を入れているのか、デジタル・トランスフォーメーションを推し進めるためにDX人材の発掘・育成に取り組んでいるのか、それとも新規事業への転換を図るための人材育成に注力しているのか。企業の戦略に人材投資がどう連動するのかを見定めようとしている。
(注1)持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 第6回 参考資料集p.29、p.40(経済産業省 令和2年7月)
では人材育成に関して企業の開示はどの程度進んでいるのだろうか。人的資本情報の開示が義務付けられた2023年3月期決算企業のうち、TOPIX500銘柄の380社について、有価証券報告書の開示実態を見ていこう。
まず2023年1月の内閣府令の改正により、全ての上場企業は「サステナビリティに関する考え方及び取組」の欄に、自社の人材育成に関する方針を戦略として記載することが義務付けられた(※注2)。以前から一部の企業では「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」の欄に人材に関する記述を行っていたが、今回の改正によって全ての企業が人材育成について言及することになった。
また従来は、人材不足による採用難など人材にまつわる「課題」が記述されることが多かったが、今回の改正では人材育成方針を「戦略」として記述することが求められており、開示内容に質的な変化が期待される状況となっている。
実際の記述内容はどうだろうか。これまで「課題」が記述されていた際には「優秀人材の採用を強化する」「教育・研修施策を拡充する」など、課題にどう対処するかというHowの表現が目立っていた。しかし「戦略」としての記述が求められるようになったことで、Howだけでなく、人材育成方針を経営戦略にからめて説明する、いわばWhyを表現しようとする企業が増えた印象がある。開示のルールが変わったことで、各企業の人材に対する考え方がより分かりやすくなっていく可能性がある。
とはいえ、定性的な開示の良しあしを評価するのは難しい。企業によって置かれた状況や経営戦略は異なり、その上で書かれた人材育成の方針が戦略と整合しているか、一貫性を保持しているかを判断するのは容易ではない。そこで次に量的な開示の実態を見ていくことにする。
(注2)企業内容等の開示に関する内閣府令等の一部を改正する内閣府令(金融庁 令和5年1月)において、以下のように規定されている(a)人材の多様性の確保を含む人材の育成に関する方針及び社内環境整備に関する方針(例えば、人材の採用及び維持並びに従業員の安全及び健康に関する方針等)を戦略において記載すること。(b)(a)で記載した方針に関する指標の内容並びに当該指標を用いた目標及び実績を指標及び目標において記載すること。
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