スシローは「少年の動画によって信用が失墜し、売り上げが落ちた」として高額な賠償請求を提起したわけだが、実はスシローの客足はその前から「おとり広告」などの不祥事が続き低迷していた。訴訟が長引けば、少年側はスシローがいかにして顧客離れをしていったのかを主張していくだろう。
裁判で戦っていくことは、スシロー側が触れてほしくない話が定期的にマスコミなどで報道をされていくということだ。しかも、最終弁論、結審、控訴などのタイミングで、少年がペロペロした動画が蒸し返される。せっかくあの不快な動画を忘れかけていたところに「ああ、そういえば」と思い出して、気分が悪くなってスシローから足が遠のく人も出てくるはずだ。
米国のような訴訟社会ではない日本で、企業が個人を相手に高額訴訟をしていくのはそういうことなのだ。
企業と関係のないジャーナリストやら専門家は「企業の社会的責任として訴えるべきだ」とか「株主や顧客の信頼回復のためのも毅然とした態度で」とか好き勝手なことを言うが、それは自分たちはなんのリスクも負わない野次馬だから無責任に言えることなのだ。
当事者としては訴訟が長引けば長引くほど醜聞が蒸し返され続けるし、訴えが認められず「負け」のイメージが定着をするリスクもある。「やらなきゃよかった」という結末になることも少なくない。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング