社内外のコミュニケーションを可視化し、チームワークの向上、業務効率化を支援するツールを開発しているサイボウズ。前出のサイボウズ式でもリーダーやマネジャーについての話題、マネジメント論などの記事を多く配信している。
吉原さん自身、サイボウズ式の記事執筆をしていたこともあり、“こうあるべき”というマネジャー像をすでに抱いていた。
「必要な情報を必要なときに提供すること、プレイヤーではない自分が現場の作業をしない、口出ししないことなど、メンバーが働きやすい環境を作るよう意識していた」と吉原さん。「もちろん、仕事を投げっぱなしにすることなく、最終的にはレビューをして、なにかあったら自分が責任を取れるようにすることで、心理的安全性を持ってチーム内で働けるようにも心を砕いていた」と振り返る。
とはいえ、「本当にメンバーの心理的安全性が担保できているか」という点についてはずっと思い悩んでいた。「心の中は本人にしか分からない。安心して働いているように見えても実際のところは分からない。その部分の迷いはずっと持っていた」と打ち明ける。
吹っ切れたのは「そう見えるということは本人がそう見せたいのだから、(その姿を)真実だと仮定するしかない」という先輩社員からのアドバイスのためだった。「どこまでいっても答えを見つけられるような問題ではない。ある意味諦めに近いが、そうでもしないと心の中で区切りを付けられなかった」。
また、チームメンバーとの向き合い方や、それを他人に相談しづらいことも悩みだった。「詳しくは言えないが」と前置きしつつ吉原さんは次のように言葉を紡いだ。
「マネジャーは孤独な感情労働だということを身をもって知った。人の感情と向き合うのはかなりヘビーで、生半可な責任感では耐えられない。当時は相談できる相手が限られていた。就任して3カ月頃には『マネジャーは本当に孤独なポジションだ』と実感させられた」(吉原さん)
では、当時、吉原さんをマネジャーに抜擢した“上”の人たちはどうしていたのだろうか。「入社5年目の若手がマージャーになるというのは社内でも半分実験的な試みだった。そのこともあり、なにかあったらサポートするという前提があり、そのおかげで全てを一人で片付けなければいけないという状況ではなかった」と吉原さん。
ただ「メンバーの感情の一次受けをするのは自分。まず、自分が聞く。それでも対応が難しいと思えたら上司を呼ぶ、という体制だったので、最初のステップで経験する感情的な揺れを乗り越える必要があり、それが大変だった」と振り返った。
チームメンバーのうち、数人の入れ替わりはあったものの、メンバーは終始5人前後で推移していた。このことも吉原さんの悩みのタネとなった。人数が増えないことには業務を拡大できないし、最悪の場合、先細りを招くこととなる。また、もともといたベテランメンバーが起業するなどしてチームを去ってしまったため、チーム内で自分より経験の長いメンバーが少数になってしまい、自分の力量がチームの“天井”に反映されてしまうという懸念もあった。
ベテランが一定い続ける前提で若手を受け入れていたが、その前提が外れてチーム全体のスキルのバランスが崩れてしまったのだ。「退職決定から退職まで」は当人のタイミングによってはすぐ過ぎてしまうが、一方で「人を増やす意思決定から採用完了まで」には数カ月かかる。その時間差を見誤っていたこともあり、チームの状況に想定とのずれが生じていった。
「社内でのスカウトや、実力ある人の中途採用も試みたが、経験の短さや年齢の若さから敬遠されているのか、うまくいかなかった。人数が増えないことから、チームメンバーが閉塞感を持っているのではないかと感じることもしばしばあった。心理的安全性を担保した働きやすい環境を作ってきたはずなのに、メンバーのモチベーションが下がっているのではないかと、日々、悶々としていた」(吉原さん)
そうこうしているうちに、吉原さんはあることに気が付いた。「マネジャーとしての経験は積めるが、プレイヤーとしてのスキルを伸ばすことができていない。まだ20代なのに、このまま教えてもらう側の立場を放棄して良いのだろうか」。そして、マーケティング本部の組織再編を機に自ら申し出て、吉原さんはマネジャー職を退き、プレイヤーへと戻っていったのだ。
「志半ばながら自分のためにも、チームのためにも、マネジャーの立場は降りるべきではないかと結論付けた」(吉原さん)
人によってはこれを「敗北」と見るかもしれない。しかし吉原さんも会社もそのような考えは持っていない。マネジャー時代に得た経験がしっかりその後の糧になっているのだ。
「マネジャーになってみて分かったのが、経営陣から降りてきたざっくりとした要望を、実務レベルにまで落とし込むおぜん立てをマネジャーがしてくれていたんだ、ということ」と吉原さん。「要望に対して具体性を持たせる“企画力”が上がったおかげで、指示や方針に対して、“いい感じに”対応できるようになったと思う」。
また、マネジャーを経験する前から「できるからやっておこう」と上や横にはみ出て作業していたが、マネジャー職になってから同じような動きをしてくれるメンバーのありがたさを実感し、今後も「はみ出るプレイヤーでいよう」という思いを強めることができた。
チームのマネジャーに対しては「以前であれば『報告したのになぜすぐに動いてくれないのだろう』と不信感を抱くこともあったが、実は水面下で対応していて、今すぐに情報を出せないだけなのだという背景があることが分かった。マネジャーを信じようという気持ちを持てるようになった」と考えの変化を語った。
“べき論”を持っていたことについては、理想論としては正しくても、現場への適用は難しいこともあると実感したという。良しとされる打ち手が、自身が直面する現場でそのまま実行できるとも限らない。最悪の場合は逆効果になることもある。
「口を出さない、手を出さないをモットーにしていたが、あるときチームメンバーから『もっとプレイヤーとしての動きもしてほしい』と言われ、ハッとした」と吉原さん。「現場ごと、チームごとにやり方が違うのだということを実感した。自分の語っていたべき論は地に足のついたものではなかった」と振り返った。
入社5年目でマネジャー職へとステップアップし、そこから1年7カ月でプレイヤーへと1段降りてしまった吉原さんだが、今後もプレイヤーとして働き続けるのだろうか。
「プレイヤーもマネジャーも、役割であって階段を昇ったり降りたりという感覚は持っていない。あくまでも視座を上げる機会が与えられたからそれを捉えたにすぎない。得難い機会を与えてもらえたと思っている。
いったん退いたからといって、それが自分の限界を狭めるとは考えておいない。マネジャー職の経験は、視座を上げるめったにない良い機会だと今でも思っている。だから自分はその機会が与えられればまた前向きに検討すると思うし、若手だとしてもその機会を捉える価値は十分にあると思う」(吉原さん)
20代で「モンスト」開発部長に スピード出世を遂げたMIXIエースの「マネジメント論」
「裸の王様だった」 サイバーエージェント新卒社長は挫折から何を学んだのかCopyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング