大小かかわらず、官民問わず、さまざまなプロジェクトが進行する中で、「予算内、期限内、とてつもない便益」という3拍子をそろえられるのは0.5%にすぎない。
人が作業にかかる時間を実際よりも少なく見積もり、ベストケースのシナリオを想定してしまうのは、失敗の典型的なパターンだ。世界中のプロジェクトの「成否データ」を1万件以上蓄積・研究するオックスフォード大学教授が、予算内、期限内で「頭の中のモヤ」を成果に結び付ける戦略と戦術を解き明かした『BIG THINGS どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?』(サンマーク出版)より一部抜粋、再構成してお届けする。
カーネマンとトヴェルスキーは40年前の研究で、人が作業にかかる時間を実際よりも少なく見積もってしまう傾向にあることを明らかにした。たとえその見積もりが不合理だということを示す情報があっても、その傾向は変わらない。彼らはこれを「計画の錯誤」と名付けた。
ハーバード大学ロースクール教授のキャス・サンスティーンと私は、この概念が、コストの過小評価と便益の過大評価にも当てはまることを示した。物理学者で作家のダグラス・ホフスタッターは、この傾向を「ホフスタッターの法則」と茶化してこう言っている。「ホフスタッターの法則を考慮に入れても、いつも予想以上の時間がかかる」
計画の錯誤が広く見られることは研究で明らかになっているが、身の回りにもそんな例はあふれている。土曜の夜に20分で市内に出るつもりが、40分かかって約束に遅れた──この前も、そのまた前もそうだった。子どもを15分で寝かしつけるつもりが、30分かかった──いつもと同じだ。今度こそは学期末レポートを早めに仕上げるつもりが、朝までかかってギリギリで提出した──毎度のことだ。
わざと少なく見積もっているわけではない。この現象に関する多くの実験で、被験者は契約を勝ち取りたいとか、プロジェクトの資金を得たい、自分の記念碑を建てたいなどの野望を持っていないから、少なく見積もる動機がまったくない。それなのに、過度に楽観的な予測を立ててしまう。
ある実験は、学生に学業やプライベートのさまざまなタスクの所要時間を、信頼度(確率)別に示してもらった。例えば、50%の確率で1週間以内に完了し、60%の確率で2週間以内に完了するなど、最大99%までの予測を立ててもらった。驚いたことに「99%の確率で」、つまり「ほぼ確実に」終わると宣言した時間で実際にタスクを終わらせた人は、45%にすぎなかった。
私たちがこうまでも一貫して予測を誤るのは、一貫して経験を軽視しているからに違いない。そして私たちは実際に、いろいろな理由で経験を軽視する。
将来のことを考えるときは、過去は眼中にないし興味もないから、過去の経験など調べない。たとえ前例を知ったとしても、「今回は違う」と言ってやり過ごす(人生のどの瞬間も、ある意味では唯一無二だから、そう言えなくもないが)。またはカーネマンの研究が明らかにした、人間の怠惰な性向のせいで、わざわざ調べようとしないのかもしれない。
どんな人も計画の錯誤を免れない。例えば、あなたが週末に仕事を家に持ち帰ったとしよう。十中八九、思ったほど進まないはずだ。それも一度だけでなく、何度も。それはなぜかと言えば、予測を立てるときに経験を考慮していないからなのだ。
では、私たちは実際にどうやって予測を立てているのだろう?
まず、家で仕事をしている自分の様子を頭に描く。そしてそれをもとに、週末どれだけの仕事ができるかを素早く直感的にイメージする。それは本当らしく感じられるから、それをそのまま予測にする。
だがその予測は間違っている可能性がとても高い。なぜならこのとき思い描くのは、仕事をしている「自分の」姿だけだからだ。フォーカスが狭いせいで、働くあなたを邪魔する周りの人やものごとは全て視界から消える。
言い換えると、あなたは「ベストケース(最良の場合)」のシナリオを想像している。これはよくあることだ。私たちが考える「ベストゲス(最良の推測)」のシナリオ、つまり最も起こりそうなシナリオは、ベストケース・シナリオとほとんど変わりがない。
ベストケース・シナリオを予測の基準にするのは、大きな間違いだ。ベストケース・シナリオが実現することはめったにないし、その可能性すらないこともある。週末にあなたの仕事時間を奪うかもしれない出来事は、病気や事故、不眠、旧友からの電話、家族の急用、配管の故障等々、数限りなくある。
つまり、週末に起こり得るシナリオは数え切れないほどあるが、その中で、あなたの仕事時間に食い込むような出来事が全く起こらないシナリオはたった1つ、ベストケース・シナリオだけだ。だから月曜の朝になって、思ったほど仕事が進んでいなくても、驚くに当たらない。だがそれでも私たちは驚いてしまう。
もしこういった気軽な予測が、大型プロジェクトでコストや工期の見積もりを出す方法とはかけはなれていると思うなら、考え直したほうがいい。一般にそうした見積もりは、プロジェクトをタスクに分割し、タスクごとにコストと工期の見積もりを出し、それらを足し合わせて算出される。過去の類似プロジェクトの結果という意味での「経験」は、たいてい無視され、どういう場合に予測が外れるかが注意深く検討されることもほとんどない。
つまり、これは実質的にベストケース・シナリオに基づく予測であり、その精度は、あなたの頭に最初に浮かんだ予測とほぼ変わらないのだ。
ときに「行動あるのみ」という言い回しで表される、行動へのバイアス(実行重視の姿勢)は、ビジネス界では一般的であり、必要とされている。
時間の浪費は危険を招く。「ビジネスではスピードが肝心だ」と、ジェフ・ベゾスはアマゾンの有名なリーダーシップ原則に書いている。「多くの意思決定や行動はやり直すことができるから、大掛かりな検討を必要としない。計算した上でリスクを取ることには価値がある」
ただし、ここで注意したいのは、ベゾスが実行重視の対象を、やり直すことができる「可逆的」な意思決定に周到に限定していることだ。この種の意思決定で時間を無駄にしすぎるな、とベゾスは諭す。何かを試してみよう。うまくいかなかったら、やり直したり、別の何かを試したりすればいい、と。
これはまったくもって筋の通った考え方だが、大型プロジェクトの決定の大半には適さない。なぜなら、やり直すことが非常に難しいか、コストがかかりすぎるため、実質的に「不可逆的」だからだ。ペンタゴンを建てたあとで、景色が台無しになることがわかったからといって、取り壊して別の場所に建て直すわけにはいかない。
こうした実行重視の姿勢が組織文化に組み込まれると、可逆性のただし書きは忘れ去られてしまう。残るのは、一見どんな状況にも当てはまりそうな、「行動あるのみ!」のスローガンだけだ。
「経営幹部向け教育クラスの受講生を調査したところ、幹部はタスクを計画しているときよりも、実行しているときのほうが生産的だと感じていることがわかった」と、経営学教授のフランチェスカ・ジーノとブラッドリー・スターツは書いている。「とくに、時間に追われているときは、計画立案に労力を費やすのは無駄だと感じる傾向にある」
これをより一般的な行動に置き換えると、大型プロジェクトに関する決定を下す企業幹部などの権力者は、計画立案にじっくり時間をかけるよりも、手持ちの情報だけを見て瞬間的に判断を下したがる、ということになる。これはジェフ・ベゾスの提唱する実行重視ではなく、「計画軽視」の姿勢である。
こういうふうに説明されれば、これがまずい考えだということはすぐ分かる。だが忘れないでほしいのだが、この考えを生んでいるのは、プロジェクトをとにかく早く始動させ、作業が始まるのを見届け、プロジェクトが前進している具体的な証拠を得たいという欲求である。
この欲求自体は決して悪いことではないし、プロジェクトの関係者全員がこの欲求を持たなくてはならない。問題なのは、計画立案をないがしろにし、まるでプロジェクトに本格的に着手する前に片付けるべき、厄介事のように扱うことなのだ。
計画立案は、プロジェクトのれっきとした一部である。計画立案の前進は、プロジェクトの前進、それも最もコスト効率の高い前進だ。
この事実を無視すれば、危険が待っている。
経済地理学者。オックスフォード大学第一BT教授・学科長、コペンハーゲンIT大学ヴィルム・カン・ラスムセン教授・学科長。「メガプロジェクトにおける世界の第一人者」(KPMGによる)であり、同分野において最も引用されている研究者である。『メガプロジェクトとリスク』などの著書、『オックスフォード・メガプロジェクトマネジメント・ハンドブック』などの編著多数(いずれも未邦訳)。ネイチャー、ニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル、BBC、CNNほか多数の著名学術誌や有力メディアに頻繁に取り上げられている。これまで100件以上のメガプロジェクトのコンサルティングを行い、各国政府やフォーチュン500企業のアドバイザーを務めている。数々の賞や栄誉を受け、デンマーク女王からナイトの称号を授けられた。
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