絶滅寸前の「夜行列車」に復活の兆し、インバウンドの追い風で加速か?杉山淳一の「週刊鉄道経済」(2/5 ページ)

» 2024年10月26日 08時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

山岳ブームと「アルプス」の歴史

 戦後間もない1948年(昭和23年)7月、新宿〜松本間に臨時夜行準急列車が設定された。この列車が翌年に定期列車の準急「アルプス」となった。当時は鉄道需要が多く、日中の移動を補完する役割だったと思われる。

 ところが1950年代に世界で8000メートル級の初登頂が続くと、日本でも登山ブームが起きた。山小屋やテントで宿泊する登山家も多い。そんな登山家にとって、夜行列車は1泊の宿泊費を浮かせられる上に、早朝から登山に挑める便利な交通手段だ。1957年には「アルプス」に加えて臨時夜行準急も設定された。

 その後「アルプス」は客車からディーゼルカーとなり、急行に格上げされ、日中も走るようになった。1964年に登山家の深田久弥氏が自らの基準でまとめた随筆集『日本百名山』(新潮社)が話題となった。ここから始まる登山ブームも、「アルプス」をはじめ全国で走っていた夜行列車が支えた。

急行/特急アルプスの運行ルート。走行距離は284.4キロメートル(国土地理院地図を筆者加工)

 1980年代になると、若年層の登山者は減り、若い頃に登山を愛した50代、60代のリターン登山家が増えていく。1986年には昼間の急行「アルプス」が特急「あずさ」に組み入れられて、「アルプス」は再び“夜行列車専門”になる。車両は特急形電車となり、古いけれどもリクライニングシートで快適になった。

 こうして「アルプス」を含めた夜行急行列車、夜行快速列車は登山家御用達となった。しかし、登山者の高齢化によって夜行列車は敬遠されていく。1999年には高尾山薬王院有喜寺で「健康登山」が提唱された。高齢者の登山者は増えたけれども、夜行急行で出かける人は減る。2002年に夜行急行「アルプス」は廃止となり、代わって臨時快速「ムーンライト信州」が走り始めた。

 夜行列車需要を支えた乗客は「青春18きっぷ」のユーザーたちだった。ムーンライト信州は私も何度か利用し、人気は高かったと思う。しかし2018年に車両の引退を理由として運行を終了する。筆者の見立てでは営業面に問題があったように感じた。普通列車のため青春18きっぷで乗れる。座席指定券が530円と安かったので、収入が少ない。そして、車掌が「満席」と放送しても空席が目立った。私の隣の席も終着駅まで空席だった。

 その理由も客単価の低さが関係している。実際には1人しか乗らないのに、2人分の指定席を買ってゆったり過ごす人がいる。当然ながら乗車券は1人分だけなので収入は少ない。もちろんこれは規則違反だ。安い指定席はキャンセルしても手数料を引くと戻ってくるお金が少ない。そうなると手続きの手間を嫌ってキャンセルしない人がいる。指定席が安いということは、オークションで転売する者たちにとってもリスクが少ないことになる。売れなかったとしても、損失が少ないからである。

 車両が老朽化しているなら、稼働していない特急車両を使ってもよかったはずだ。「ムーンライト信州」が消えた本当の理由は、採算の悪化だと私は思った。

急行「アルプス」の後継列車「ムーンライト信州」(2008年筆者撮影)
青春18きっぷユーザーは、白馬から糸魚川へ乗り継ぐ人が多かった(2008年筆者撮影))

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