サッカー日本代表は「2026 FIFAワールドカップ」で、初のベスト8進出という「新しい景色」を見せてくれるのか?
1993年の「ドーハの悲劇」を経て、1998年のフランス大会で初出場を果たして以降、日本代表は2026年の米国、カナダ、メキシコで共催されるワールドカップまで8大会連続8回目の出場を決めた。そこまで日本代表が強化された背景には、2025年で創立32周年を迎えたJリーグの底上げがあるだろう。
日本プロサッカーリーグは、5月15日の「Jリーグの日」に合わせて「Jリーグチップス」の復刻版を5月17〜18日の試合会場で配布した。このJリーグチップス復活に合わせたイベントに、日本代表の森保一監督、解説者の松木安太郎氏と元日本代表の前園真聖氏が登壇。松木・前園両氏に、日本サッカー躍進の秘密と、背景にあるチームマネジメントについて聞いた。
イベントでは前園氏と松木氏に、「選手と監督としての森保一とはどんな人物なのか」が問われる場面があった。
前園氏は当時選手だった森保氏について以下のように語る。
「僕は初めて代表に入ったのは20歳の時で、森保さんもいました。僕は前線でプレーするだけでしたが、森保さんは中盤で全体のバランスを取ってくれました。なので、僕ら若い選手は自由に前でやらせてもらえました。今、森保さんは代表の監督ですが、『自分こそ1番だ』と思っている選手ばかりのチームを、1つにまとめるのは大変です。でも森保監督は、現役時代からそういうバランスを取りながらマネジメントができる素質が、十分にあったと思っています」
一方の松木氏は「(森保氏は)現役時代から全ての人をリスペクトしていました。それは監督になってからも変わりません。その上で、良い方向へチームを導きたいという姿勢が、現代のチーム作りに合っていると感じます」と分析した。
日本代表において、2期連続で指揮を執っているのは森保監督が初めてだ。松木・前園両氏の評価の高さは、その能力を裏付けているようにも感じる。
松木氏は2008年ころ、サッカーを学び直すためにブラジルのコーチングスクールを10日間ほど受講したという。そこで多様性の重要性を再認識したと明かす。
「講師陣には日本で面識があった人たちもいて、私がコースを受講していることに驚いていました。授業では、ブラジルのサッカーが進歩した大きな要因として、違う国の選手や文化を取り入れた多民族国家であったことを話していました」
松木氏がかつて在籍していた読売サッカークラブでは、早期から外国人を受け入れる文化があった。だからこそ、多様性の重要性を「再」認識したのだろう。「若い頃に『これが海外ではスタンダードなんだ』と知れたのはプラスでした」と話す。
Jリーグができてからは、キングカズこと三浦知良氏に始まり、海外に行く選手が増えた。今は時代が変わり、小学校のうちから外国の大会に参加する選手が増えたと強調する。「いろいろな土地に行き、たくさんの経験をする選手が増えたことが、日本サッカーの強さにつながっています」。島国国家で、どこか外国へのコンプレックスを持つ日本人にとって、それを感じずにプレーできるのは海外で活動する大きなメリットだ。
松木氏は監督として、ヴェルディ川崎をJリーグの初代王者に導いた。当時の選手たちはカズに加えてラモス瑠偉氏、北澤豪氏などの個性派集団。彼らをマネジメントする上で心掛けていたことは何なのか?
「自我を強く持っている選手と一緒に仕事をしなきゃいけないわけですから、選手とぶつかることもありました。仕事ですから当然です。その中で大事なのは、試合に勝つという同じ方向に向くこと。なので、そのために何をするべきかについて、互いに理解し合えばいいのです。力を費やすときには費やすというプロフェッショナルな選手が多いチームでした」
この32年間で、選手の練習方法や、マネジメントなど監督の指導法、在り方も変わったのか? 例えば湘南ベルマーレやラグビーの日本代表は、ドローンを使いながら選手とボールの動きを把握。戦術に生かしているという。
「凄まじい情報量が得られるので、そのデータの活用が、マネジメントの新しい領域として入ってきました。しかしだからといって、データだけが全てではありません。選手の性格を考えながら、いかにしてマネジメントするか。そういう世界になっています」
Jリーグが始まって32年。日本は、世界でもそれなりのレベルまで力をつけてきた。前園氏は、Jリーグ躍進の理由について、その黎明期にジーコなど海外のトップレベルの選手たちが来たことを挙げる。リーグの基礎を作り上げたことによって日本人のレベルが上がり、ワールドカップ出場につながったと指摘した。
「Jリーグのレベルが上がったことによってカズ(三浦知良)さんや、ヒデ(中田英寿)が海外に行って日本人として成功しました。その成功によって、さらに海外に出る日本人選手が増えるというサイクルが確立しましたのではないでしょうか」
サポーターの開拓と、メディア活用も大きかったと分析する。
「メディアがいなければサッカーは盛り上がらなかったと思います。開幕当初は、注目されることによって“にわかファン”が出て、そこからコア層が生まれました。それでサッカー界全体が成長して、結果も伴ってきました。こうやって(過去から現在まで)つながっていると思います」
ファンの開拓にメディアをうまく活用できたのだ。Jリーグにいても、選手が“世界標準”を感じられるようになった意義は大きいとも話す。
「自分が選手だった1993年ころ、海外で活躍している日本人選手は、それほどいませんでした。今では、日本代表選手のほとんどが海外でプレーし、現地でしっかりと結果を出していて、それが当たり前になっています。加えて、世界を経験した日本人選手が再びJリーグに帰ってくる動きもあります。世界の各リーグとJリーグの垣根がない状況になってきました」
サッカーは、監督が代わるとガラリと戦術が変わることがある。それゆえに監督が進める戦術と、選手個人のスタイルが合わないケースもあるようだ。そうなると、監督と選手の関係もギクシャクする。企業の人事異動などによって上司が変わった際、その上司と部下との関係も変わることがあるのと同様だ。
「選手によっては、少しの時間ではあるものの日本代表としての活動も出てきます。つまり、試合に出場するには、クラブチームであろうが代表であろうが、監督の意図を理解し、自分の良さをどう出していけばいいかを考えるようになりました」
置かれた環境で、自分のスタイルを維持しながら、アジャスト(適応)させられる選手であることが求められる時代になったという。ビジネスの世界でも、さまざま上司に応じた対応力が必要ということ同様だ。
今後Jリーグがさらに発展していくには、どの部分に課題があると考えているのか。
「代表レベルでは、ワールドカップでもベスト8を狙えるレベルになったと思います。だからこそ、原点に立ち帰り、(サッカーの)すそ野を広げる活動をすることが大切だと思います。つまり、子どもたちにサッカーを好きになってもらう環境を、より整えることが重要になるわけです。それこそ、バスケットボールなどサッカー以外のプロスポーツも増えています。日本のサッカー界が底上げされたからといって、そこに安住していてはいけないのではないでしょうか」
松木氏と前園氏のインタビューは、個々に別々の部屋で実施した。にもかかわらず、Jリーグ全体がレベルアップし、日本のサッカーが強くなった理由として、2人とも海外とのつながりを挙げたのは印象的だった。
明治以降の近代化の歴史を見れば明らかなように、日本は海外との交流によって発展してきた。今の日本サッカーの隆盛をみると、その背景にさまざまな国との交流を生かしてきたことが分かる。
Jリーグは2024年、20カ国・地域で放映された。ASEAN諸国やサウジアラビアとの提携を始め、海外でのビジネスにも力を入れている。
こうした地道な活動も、Jリーグの底上げにつながってきた。これまで同様、海外を意識しながら活動を続けていけば、Jリーグも日本代表もさらにレベルを上げ、そう遠くない未来に「新しい景色」を見せてくれそうだ。
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