すっぽり空いた土地では地域住民が毎週末、手作りの野菜や工芸品を持ち寄る「池月夕市」というマルシェのような活動をしていた。「ここを施設として形にできないか」という声が上がったとき、ちょうど国内で「道の駅」制度がスタートして間もない時期だった。
しかし当初、住民の9割以上が反対していたという。「こんな過疎の町に何十億円もかけて箱物をつくってどうするのか」という意見が大勢を占める中、当時の佐藤仁一町長が強いリーダーシップを発揮して建設を推進した。
革新的だったのは道の駅の運営体制である。自治体直営や財団法人などへの委託がまだ主流だった時代に、地元住民が出資する株式会社を設立し、指定管理者として運営する仕組みを構築した。「地元の方に株主になっていただき、従業員としても経営陣としても参加できる仕組みを作りました」と佐々木社長は説明する。この地域密着型スタイルが、後の継続的成長の礎となった。
2001年4月の開業後、すぐに多くの来客があったという。一つには地理的優位性がある。
「あ・ら・伊達な道の駅」の目の前を走る国道47号は、場所によっては108号、457号と名称は変われども1本の道で太平洋側から日本海側までつながっている。日ごろから多くのクルマが行き交う交通の要所に立地している。さらには近隣の鳴子温泉郷は県内有数の観光名所。ハイシーズンになると大型観光バスが列をなす。
その道中のニーズが高いのがトイレだ。そう、この道の駅はトイレ休憩場所として早速活用されることとなった。そのついでに観光客が買い物をするという流れが、開業当初から出来上がっていたのである。
とはいえ、魅力的な売り物がなければ施設にお金は落ちない。そうした中で耳目を引いたのは、産直コーナーだった。とりわけ人気に火がついたのは「なめこ」だった。
「もうやめようかと思っていた時に、ダメ元でここに出品してみた」という廃業寸前だったキノコ生産者の大粒なめこが大ヒット。市外から買い求めに来る客もいて、毎回あれよあれよという間に完売した。今でも変わらずの人気商品となっている。「もし道の駅の開業が1年遅れていたら、この生産者は廃業していたみたいです。それが今では規模を拡大。人生分からないものですね」と佐々木社長はしみじみと話す。
一方で、当時は約70人の生産者が同時期に同じ野菜を出荷するため、廃棄が相次ぐという問題も生じていた。そこで同施設では戦略的な品種多様化に着手したのである。
同じナスでも品種を分散してもらい、客の選択肢を広げることで、スーパーでは見かけない珍しい野菜が豊富にそろうようにした。また、棚に並べる野菜は品種で分けずに、納入した農家順にした。従って、例えばトマトが複数の棚に分散するように置かれているのだ。一見すると不便のように思えるが、実は客にとっては「宝探し」のような楽しみが生まれているという。
その後も生産者数は増えていき、最盛期は240人にまで拡大した。農家の収益構造も劇的に改善し、「農協への出荷がサブ、産直がメイン」という取引形態に転換したところもある。
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