塩釜での生活がちょうど1年たった2024年1月、再び立花社長からの指示で、森さんは銀座店の立ち上げに抜てきされる。塩釜や仙台とは異なる高級路線の店舗で、初めての宮城県外進出。文字通りゼロからの集客が求められた。
「銀座は、宮城で人気のある塩釜港という看板が通用しない場所でした。どうやってお客さんに知ってもらうか、どうやってリピートしてもらうか。それが一番の課題でした」
森さんは、店周辺にあるホテルへの営業を自ら提案し、実行した。
「近くの高級ホテルにアポなしであいさつに行きました。名刺とショップカードだけを持って、『塩釜港という店ができたので、ぜひ来てください』と。最初はコンシェルジュを無料でご招待し、宿泊客に紹介してもらえるようお願いしました。飛び込み営業に躊躇(ちゅうちょ)はなかったですね。とにかく動いて、店を知ってもらうしかありませんでしたから」
銀座店では、客との距離を縮めることにも注力した。
「名前を覚えてもらい、『予約の際には僕に連絡してください』と伝えて回りました。融通を利かせやすくすることで、リピートにつながると考えました」
ただし、銀座店の黒字化は容易ではなかった。
「料理がおいしいのは当たり前です。2万5000円、3万5000円のコースなら、銀座ではどこもおいしいはず。その中で『もう一回行きたい』と思ってもらうには、店の雰囲気や、そこにいる人が重要です。『この職人がいるから行こう』『ここに行くと元気をもらえる』という場所にすることが、銀座では特に難しいと感じました」
銀座店で1年を過ごした後、森さんは自ら本店に戻ることを申し出た。2024年末の忘年会で、本店のスタッフから悩みを相談され、「こちらに戻った方がいい」と直感したのだ。
「仕入れをもっと強化しないとまずいと感じましたし、現場スタッフの声を社長に伝える役割が必要だと思いました。社長に話すと『戻ってくれるの?』と驚かれましたが、恐らく社長も本店をテコ入れする必要があると感じていたのかもしれません」
2025年1月から塩釜で再び、森さんは毎朝3時起きで市場に通う生活が始まった。そして現在は5店舗分の仕入れと仕分けを担当する。午前中だけで3回の競りに参加し、午後は広報部長を務めるヤママサでの仕事や、会社間の連携業務などをこなす。
「今は会長と職人の3人体制ですが、今後店舗が増えれば仕入れもより強化しなければなりません。また、仕分けについては、セントラルキッチンとしてヤママサの工場を活用することも視野に入れています」
森さんの役割はそれだけではない。立花社長とスタッフの架け橋として、現場の声を吸い上げ、会社の方針を伝えることも重要な仕事だ。
「社長は新しいことにどんどん挑戦する人です。でも、現場の状況を正確に伝えないと、土台が揺らぐ。店舗が増え、新しい人が入ってくる中で、きちんとした土台を固めることが僕の役目だと思っています」
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