Facebookタイムラインに、知人のこんな投稿が流れてきた。
「ついに社食にもランサムウェア被害の影響が……。」
どうやらアスクルの物流が止まったせいで、社食の紙ナプキンが不足しているらしい。最近ニュースで報道されている「システム障害」が、こんな形で生活に入り込んでいる現実を実感した。
9月末、アサヒグループホールディングスがロシア拠点のランサムウェア集団「Qilin」(キリン)によるサイバー攻撃を受けた。国内全システムが暗号化され、生産・出荷・受注業務が全面停止。個人情報や内部文書の暗号化と窃取・公開脅迫が確認された。
続いて10月、アスクルがランサムウェア攻撃を受け、社内システムが感染。物流子会社であるASKUL LOGISTICS(アスクルロジスティクス)のシステム障害が発生し、受注・出荷業務が全面停止。この影響は、物流業務を委託している取引先企業、良品計画(無印良品)、ロフト(ロフトリアルネット、ロフト)、そごう・西武(セブン&アイ・ホールディングス傘下)などに波及し、間接的な被害を生じさせた。
どちらも出荷や受注などの中核業務が一時停止し、「デジタル化された企業活動の心臓が止まった」などと報じられた。だが今回のテーマは、攻撃そのものではない。問いたいのは、「攻撃を受けたあと、企業がどう信頼を守ったのか」という点だ。
【訂正:2025年11月7日午後5時15分 記事公開時点で一部、誤りがありました。該当部分を削除し、再公開しました】
食中毒とサイバー攻撃、どちらが怖いと思うのだろうか。おそらく一般的には「食中毒の方が命に関わるから怖い」と答える向きが多いのではないか? だが危機管理広報の現場では、サイバー攻撃の方が怖い。理由は単純で、「見えないから」だ。食中毒なら、原因や回収、再発防止策という“お決まりの流れ”がある程度見えている。
しかしランサムウェアの場合、誰が、いつから、どのデータを盗み、どこに拡散させたのかが分かりづらい。目に見えない被害を、誰にでも伝わる言葉に翻訳する。その難しさが怖い。また、一般的な危機――地震や製品トラブルなど――には「終わり」がある。地震なら復旧、製品事故ならリコールが完了すれば、一段落つく。
ところがランサムウェアは「終わり」が見えない。攻撃が本当に止んだのか、再感染のリスクはないのか。企業も顧客も、誰も確信が持てない。この“終わりの見えなさ”こそが、企業の信頼を蝕(むしば)む。
欧州連合(EU)のサイバーセキュリティ機関ENISAが、2024年に公開したサイバー危機の管理に関するベストプラクティスをまとめた報告書「Best Practices for Cyber Crisis Management」と、コーネル大学が2024年に公開した、運営するデータ侵害時の危機コミュニケーション戦略を分析した論文「Crisis Communication in the Face of Data Breaches」を元に、「一般的な危機」と「ランサムの対応」の共通点と差異をまとめた。
この一覧からも分かる通り、ランサムウェアの広報対応は、一般危機(地震:自然災害、食品事故:健康リスク、製造トラブル:製品欠陥)と共通のフレームワークを共有しつつ、サイバー特有の複雑さ(データ漏洩(ろうえい)脅威、身代金倫理)が差異を生む。
研究では、全ての危機で「共感・正確・継続更新」の原則が有効であり、信頼回復率は、迅速開示で20〜30%向上するとされている。一般的な危機は「目に見える被害」(崩壊・中毒)で、即時謝罪が中心に対し、ランサム対応はサイバー専門広報チームの必要性が高いことが示されている。
ランサムウェアは「いつ」「どこで」仕込まれたかが見えにくく、発覚までに時間がかかる。感染を完全に遮断し、社内システムを安全に再稼働させるには専門調査が欠かせない。つまり、被害を「確認した瞬間」から「公表できる状態」までには、通常の危機対応よりも時間がかかるのだ。
それでも、信頼を落とさない企業には共通点がある。
冒頭で紹介したアサヒグループホールディングスは、攻撃を検知した翌日に「システム障害により一部業務を停止」と公表し、数日後には原因がランサムウェアであることを明かした。「顧客情報への影響は確認中」としながらも、「対応状況を随時更新する」と明記したことで、報道やSNSでの憶測拡散を抑えた。
一方で、アスクルは「LOHACO」などの通販事業への影響を詳細に説明し、進捗を段階的に発表。配送の遅れに対して「お詫び」よりも「現状共有」を重視し、誠実な印象を残した。
では逆に、発表が遅れた場合、何が起こるのだろうか。2025年4月に起きた近鉄エクスプレス(KWE)のランサムウェア被害を振り返りたい。KWEは、近鉄グループ傘下の国際物流企業として、世界中の貨物輸送を担う。2025年4月23日未明、国内サーバがランサムウェアに感染し、基幹システムが停止。貨物の受注・追跡・通関業務が止まり、全国の物流がほぼ麻痺状態に陥った。
このタイミングは大型連休前。製造業や医療関係など、サプライチェーン全体に影響が及び、日本航空(JAL)の貨物便にも遅延が発生した。この時もアスクル同様「システムの停止」は、一企業の問題にとどまらず、社会インフラ全体のリスクに発展した。発生当日の4月23日、KWEは「システム障害により貨物輸送を停止」と発表した。
しかし、ランサムウェア攻撃であることを正式に認めたのは5日後の4月28日。その間、同社のWebサイトやSNSでは「障害」「復旧作業中」という曖昧(あいまい)な表現が続いた。
一方で、メディアや物流業界関係者の間では「攻撃ではないか」との憶測が広がり、報道が公式発表より先に出る“情報逆転”が起きてしまった。ここで問題となったのは、「事実を隠した」わけではなくても、説明の遅れが“隠している印象”を与えたことだ。広報の世界では、“誤解を生む沈黙”は“間違った発表”と同様、大きなダメージを与えることがある。この時は結果として、被害の中身よりも“対応の遅さ”が企業イメージを傷つけることになった。
5日間の沈黙の間に、SNS上では「顧客データが流出している」「輸出入の書類が暗号化された」など、確証のない情報が広がった。実際には個人情報の流出は確認されていなかった。公表の遅れが憶測を呼び、信頼回復を難しくしたと考える。
一方、アサヒやアスクルのように「調査中」と明言したうえで段階的に情報を出す企業は、憶測が広がる余地を狭められる。KWEの対応が全て悪かったわけではない。
むしろ復旧スピードは非常に速く、4月30日にはほぼ復旧、5月6日には全面再開を果たしている。社内では即日で緊急対策本部を立ち上げ、外部専門家と連携して原因調査や復旧作業を行った。 技術対応そのものは適切であり、危機管理体制として高く評価できる。
だが、復旧作業と並行して、コミュニケーションの設計において、情報発信の「誰が・いつ・どの言葉で」行うのかが決まっていなかった可能性が高い。そのため、「社内では頑張っているのに、外から見ると何も見えない」状態が生まれた。
アサヒやアスクル以外にも、ランサムウェア攻撃を受けながら信頼を保った企業はある。以下に、過去1年以内に起きた国内の好事例を紹介したい。
KADOKAWAは、動画配信サービス「ニコニコ動画」などを含むネットワーク全体が攻撃を受け、従業員・取引先・教育関連を含む25万人以上の個人情報が流出した。
同社は被害確認の数日後には「社内システムがランサムウェア攻撃を受けた」と公表し、公式サイトで影響範囲を明確にした。特に「ニコニコユーザーのアカウントやクレジットカード情報には影響なし」と早い段階で説明したことが、ユーザーの動揺を抑えた。また、復旧の進捗を月単位で発信し、社員教育やフィッシング対策の強化を積極的に発信した。
カシオは海外経由の不正アクセスを受け、業務データや個人情報が流出した。
初報で「顧客のクレジットカード情報への影響は確認されていない」と明確にし、続報では原因や再発防止策をIR資料の中で説明。社員教育やシステム強化の取り組みを同時に発表した。商品発売の遅延という直接的な影響はあったが、株主総会で復旧計画を開示したことが、逆に「誠実に向き合う企業」という印象を残した。
英国のサイバーセキュリティ企業、ソフォス(Sophos)が実施した「ランサムウェア被害後の復旧と広報対応」を分析した調査によれば、97%の企業が3カ月以内にシステムを復旧させているにもかかわらず、信頼回復の速度には大きな差があるという。
その差を分けたのが、「事実ベースのストーリーテリング」と呼ぶ対応――つまり、被害の経緯と回復の道筋を“具体的な行動”として説明する力だった。単に「調査中」と言うだけでなく、「どのシステムを復旧し、次に何をするのか」を発信した企業ほど、株価やブランドイメージの回復が早かったという。結局のところ、攻撃そのものではなく、「どのように語ったか」が信頼を左右する。
システムの復旧スピードと同じように、コミュニケーションのスピードも企業の生命線なのだ。ランサムウェア対応で信頼を保った企業に共通しているのは、「正確さ」と「誠実さ」を両立させる仕組みを、平時から準備していたことだ。調査が終わるのを待つのではなく、「分かっていること」「これから確認すること」「次に発信する時期」を明確に伝える。その繰り返しが、社会との信頼関係を途切れさせない。
もし明日、自社でサイバー攻撃が起きたら――誰が、どの順番で、何を伝えるか。その設計図を今から描いておくことが、最大のリスクヘッジになる。
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