作者が何らかの罪に問われた時に、その作品にも責任は生じるのか。「作者と作品は分けて考えるべきだ」といった考え方は、ここ数年で増えているように感じる。薬物や性的事案についても、その文脈からの擁護は通常であれば一定数ある。
しかし、今回の事案では、そうした擁護があまり見られない。その理由として、この事案が「組織のコンプライアンス問題」に発展していることが挙げられるだろう。各作品における掲載の是非を超えて、議論の焦点は小学館という組織そのものに向かっている。
つまり、マンガワン編集部単体の問題ではなく、小学館という企業の姿勢が問われている。もしかすると「名義を変えれば、その人物の前歴をリセットできる」といった認識が、社内全体にはびこっている可能性はないか――。そうした疑念がうずまいているにもかかわらず、あくまで“個別の事案”とするような姿勢を示すとなれば、批判されても仕方ないだろう。
ただでさえ小学館は、漫画『セクシー田中さん』の事案でも、その対応が批判されていた。現在でも「テレビドラマ化における脚本をめぐって、原作者の意思が尊重されていなかったのではないか」といったイメージを払しょくできていない。
その上に、マンガワン問題が重なった。すでに現在でも、作画担当者などに影響が出ており、その立場を守りきれるのかと、不安視する声は少なくない。となれば、あくまで編集部が主体の出来事だったとしても、企業としての対応が求められるのは当然と言えるだろう。
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