高見澤氏は大学卒業後、英国に留学していた。「どこへ行っても荻野屋の息子と見られる環境から離れたかった」という思いと、将来の起業を視野に会計を学ぶためだった。
しかし父の急逝を受けて帰国。2003年、27歳で荻野屋に入社する。現場を回りながら財務内容を確認すると、過大な設備投資による多額の借入金が残っていた。利益管理はどんぶり勘定で、原価表すらない商品も多かった。
「おいしければいい、という発想でやっていた。まずそこを変えるところから始めました」
原価表の整備や利益意識の浸透など、経営体質の改善に取り組んだが、現場からは反発もあった。特に「峠の釜めし」は看板商品であるがゆえに、変えることへの抵抗感は小さくなかった。
高見澤氏は責任者たちと丁寧に対話を重ね、「なぜ賛同できないのか」を一つずつ聞きながら、少しずつ意識を変えていった。2012年に代表に就任するまでの約9年間は、主にこうした内部改革の地ならしに費やした。
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