高橋利幸が「高橋名人」になった日:高橋名人が語る(4/7 ページ)
ファミコンブームの訪れとともに誕生した「高橋名人」。ハドソンの宣伝部に所属する一社員がどのような経緯で名人へと生まれ変わったのでしょうか。当時の裏側のエピソードを交えて高橋名人が語ります。
ダイエーの全国店舗でイベント開催
この全国キャラバンは、このような成り行きで開催が決まったのですが、さすがにそれを実行するには、期間的に厳しいものがありました。というのは、全体的なスケジュールを考えると、夏休みに開催するためには、それまでに発売するコロコロコミックで発表しなければいけません。
コロコロコミックは、毎月15日ごろ発売です。しかし、夏休み直前の7月15日にイベントスケジュールを発表しても、子どもが親に参加したいと頼めなくなってしまう可能性があります。
そこで、コロコロでのスケジュール発表は、6月15日としました。逆算すると、その号の校了は5月下旬です。するとイベントのすべてを決めるには、2カ月しかないということになります。
まずは、夏休みの40日間の開催場所とスケジュールをどうするのか? 普通に考えれば、とても2カ月で決められるものではありません。そのときに、外部スタッフとして参加していた方から、イベント会場に関しては全国展開している小売店舗の本部に行って話を付けてきた方が早いだろうという意見が出ました。そこですぐさま、大手スーパーチェーン「ダイエー」の本部に行って、話をさせてもらいました。
まずは、全国で、最低300人レベルのイベントが開催できる店舗を挙げてもらいました。それを社内に持ち帰り、開催地を白地図に書いていきます。そして、スタート地点を、北は札幌、南は鹿児島として、どのようなルートで回るのが効率的かを検討しました。
この時点では、沖縄でも開催した方がいいだろうという話でしたが、どこかで1日でもスケジュールにズレが生じてしまった場合、その後の全てが開催できなくなるというギリギリの状況でした。
荷物を運ぶトラックは、当然、航空機には乗せられないので、フェリーを使うしかありませんが、夏の時期は台風が来て、フェリーが休航になるかも分かりません。そこで、沖縄は夏休み期間には組み込まずに、時期をずらして開催することにしました。
ゲーム大会のイベント時間は、小学生が相手ということで、最大2時間半が限度だろうということになりました。ゲームは6月に発売する「スターフォース」というシューティングゲームになりました。そして、全体的な時間と、参加人数、そして同時にプレイできる人数を検討した結果、予選2分間、決勝5分間と決まったのです。
このルールでいいのかどうかを検証したのが、最初に書いた5月3日のイベントです。
子どもたちには初めてプレイするゲームだったこともあって、わりとボロボロなイベントになってしまいましたが、それでも予選2分、決勝5分という時間は問題ないという確信が得られました。
その後は、夏休みのイベントに向けて、最終調整と問題点の洗い出しですが、すべてが完全にできるわけではないので、不足している物があれば、現地で調達する方向で進みました。まさに立ち止まって考える余地などありませんでした。
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