高橋利幸が「高橋名人」になった日:高橋名人が語る(5/7 ページ)
ファミコンブームの訪れとともに誕生した「高橋名人」。ハドソンの宣伝部に所属する一社員がどのような経緯で名人へと生まれ変わったのでしょうか。当時の裏側のエピソードを交えて高橋名人が語ります。
ファミコンブームとピッタリ重なった
そして7月21日、ついにキャラバン初日を迎えました。このイベントの1日をスケジュールにしてみると、
06:00 起床
07:00 ホテルフロント集合
07:30 現場集合&搬入開始
09:30 セッティング終了(現地スタッフ、子どもたちの整理など)
10:00 子ども入場
10:30 午前中の大会開始
13:00 午前中大会終了
13:30 午後大会の入場。ディレクターは次会場へ移動&翌日の打ち合わせ
14:00 午後大会開始
16:30 大会終了。片付け&搬出開始
18:00 搬出終了
キャラバンカーは、次会場宿泊先へ移動
私とMCは、電車などで次の会場の宿泊先へ移動
21:00 フロントに集合
食事&反省会&翌日の打ち合わせ
23:00 就寝
私はコントローラーの整備&就寝
とこんな感じでした。今振り返れば、若かったんだろうなぁと思うばかりです。
こんな中で、ラジオ体操の先生のように、大会前に見本を見せるプレイヤー、そしてMCとして高橋名人としての活動が始まりました。ただ、この夏休みの間は、まだコロコロをはじめとした子どもの世界だけでのことでした。それが、世間一般に広がったのは、85年12月に開催した、「クリスマス ファミコンフェスティバル」というハドソンとコロコロが共催したイベントです。
コロコロと、当時私が出演していたTV東京の「おはようスタジオ」での告知だけで開催したイベントなのですが、ふたを開けてみると、早朝から並び始めた子どもが3000人を超えていたのです。このイベントは取材され、翌日の東京新聞の見開き3分の2ほどの記事になったのです。
ちょうどその年の9月末に、任天堂から「スーパーマリオ」が発売され、徐々にファミコンの人気が上がっていたこともあり、マスコミもその盛り上がりを記事にしようとしていた時期だったのだと思います。
東京新聞に掲載されたことで、マスコミからの取材が集中し、子どもだけだった小さな世界から一般の方まで広く知られるようになりました。
さらに翌86年3月に発売したソフト「忍者ハットリくん」が、発売日に100万本も販売され、その注目の高いゲームの攻略法をTV番組で紹介していたのも、高橋名人が知られていく後押しとなりました。
今では、ゲーム業界に限らず、何かのヒット商品について説明できる人は、数多くいると思います。しかし、85年当時は、今では「マリオの生みの親」として有名な任天堂の宮本茂さんをはじめ、会社員が取材の対象になるということはあまりなかったのです。
そこにたまたま、私(=高橋名人)という存在があったことと、ファミコンの大ブームが重なったことで、世間からの注目を浴びる結果となったのです。
関連記事
- ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由
任天堂が発売した家庭用ゲーム機「ファミコン」は、80年代を代表する社会的な大ブームを巻き起こしました。どのようにしてそのブームはでき上がっていったのでしょう? その裏側にあったものとは? 立役者の一人である高橋名人が語ります。 - 競合ゲーム機「PSP」の脅威が任天堂社内を変えた
「Wiiのプレゼンテーションを最も多く経験した男」。任天堂の岩田元社長からもそう評された玉樹さん。本連載では、Wiiの開発担当者として、いかに商品を生み出し、世に広めていったか、そのプロジェクトのリアルをお伝えします。 - “オヤジ”たちが今なおミニ四駆に熱狂する理由
模型メーカーのタミヤがレーサーミニ四駆を発売してから30年。かつて社会現象となったミニ四駆が、今また盛り上がりを見せているのをご存じだろうか。タミヤの社員としてミニ四駆の誕生から携わり、「前ちゃん」という愛称でブームの火付け役としても尽力した前田靖幸氏がその舞台裏を語る。 - なぜ「ビックリマン」は年間4億個を売り上げるまでのブームになったのか?
1980年代後半、日本中の子どもたちの間で爆発的なヒット商品となったのが「ビックリマンチョコ」だ。なぜビックリマンは年間4億個も売れるほど大ヒットしたのだろうか……? - 地ビールブームから一転、8年連続赤字で“地獄”を見たヤッホーブルーイング
現在、11年連続で増収増益、直近4年間の売り上げの伸びは前年比30〜40%増と、国内クラフトビール業界でダントツ1位に立つヤッホーブルーイング。しかしここまではいばらの道だった……。井手直行社長が自身の言葉で苦闘の日々を語る。 - 紅白歌合戦で39度の高熱、この失敗が仕事の意識を変えた
20年以上もプロとしてステージに立ち続けてきたMAXのLINAさん。さまざまな仕事の中で経験したこと、学んだことなどをこの新連載でビジネスパーソンに伝えていきます。 - 激戦ラーメン市場、それでも「一風堂」が選ばれ続ける理由
31年前に福岡で創業したラーメンチェーン「一風堂」の成長が止まらない。国内外で出店攻勢をかけているのだ。1年間で約3600ものラーメン屋が閉店に追い込まれる激戦市場において、なぜ一風堂は顧客に選ばれ続けているのだろうか。 - 元千葉ロッテ・里崎さん「僕がビックリマンPR大使になった理由」
ロングセラーのお菓子商品「ビックリマンチョコ」をもっと世の中に広めるため、2年前にビックリマン終身名誉PR大使に就任したのが、プロ野球・千葉ロッテマリーンズで活躍した里崎智也さんだ。里崎さんとビックリマンのかかわりとは? また里崎さんが選ぶビックリマンベストナインとは?
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.