高橋利幸が「高橋名人」になった日:高橋名人が語る(6/7 ページ)
ファミコンブームの訪れとともに誕生した「高橋名人」。ハドソンの宣伝部に所属する一社員がどのような経緯で名人へと生まれ変わったのでしょうか。当時の裏側のエピソードを交えて高橋名人が語ります。
「ゲームは1日1時間」
高橋名人が世間に広く知られるようになった要因はほかにもあります。それが「ゲームは1日1時間」という標語です。
当時は、今とは比べものにならないくらい、ゲーム=悪、ゲーム=不良の遊び、といった固定観念が根強くありました。私としては、せっかくファミコンがブームとなり、一般家庭にもゲームが浸透したわけですから、かつてのアーケードゲームのように、ゲームが再び不良扱いされることがあってはならないと思っていました。
そこで、こうした標語を掲げて、世のお母さんたちに健全であることをアピールするとともに、伝承遊びを取り入れました。
昔からある指先の屈伸運動をする体操を、子どもたちが興味を持つように「ファミコン体操」と名付け、イベントの前に皆でやってみるようにしました。ぶっちゃけますが、指の体操でゲームが上手くなることはありません。しかし、その運動が脳を活発化させてくれるのです。これは子どもたちから老人にまで、簡単にできる大事な運動の1つでした。
そうした活動をしていくことで、「ファミコンは健全な遊びなんだ」というイメージを作ることができ、また、高橋名人が、主に母親からの指示をも受けることになっていったのだと思います。
各メーカーの「名人」との違い
私の場合、運が良かったのは、ハドソンがさまざまな活動を許可してくれたことです。
1986年半ばからは、各ゲームメーカーが「名人」を作ってきました。しかし、彼らと私の決定的な違いは、ゲームの攻略だけをするのか、それともゲームの攻略はもちろんだけども、それ以外の子どもが体験するべく遊びや運動なども勧めていたかの違いだと思います。
対象相手が子どもだけであれば、ゲームの攻略法を直伝するだけで正しいと思います。しかし、それだけでは、家計の番人とも言える母親の賛同を得ることはできませんからね。
しかし何よりも、大成功した最大のポイントは、子どもたちが私をハドソンの社員だと認識していなかったことです。テレビ番組などでの自己紹介で「ハドソンの高橋です」と言っていたにもかかわらずです。私が紹介するゲームは、ハドソンタイトルに限定していましたが、子どもの勘違いが、「私が紹介するゲームは面白いんだ」というさらなる誤解を生んでいきました。
しかし、この勘違いは、後に「逮捕された」という誤解をも広めることになるのですから、勘違いは、できるだけ早目に解消しておいた方がいいということですが……。
関連記事
- ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由
任天堂が発売した家庭用ゲーム機「ファミコン」は、80年代を代表する社会的な大ブームを巻き起こしました。どのようにしてそのブームはでき上がっていったのでしょう? その裏側にあったものとは? 立役者の一人である高橋名人が語ります。 - 競合ゲーム機「PSP」の脅威が任天堂社内を変えた
「Wiiのプレゼンテーションを最も多く経験した男」。任天堂の岩田元社長からもそう評された玉樹さん。本連載では、Wiiの開発担当者として、いかに商品を生み出し、世に広めていったか、そのプロジェクトのリアルをお伝えします。 - “オヤジ”たちが今なおミニ四駆に熱狂する理由
模型メーカーのタミヤがレーサーミニ四駆を発売してから30年。かつて社会現象となったミニ四駆が、今また盛り上がりを見せているのをご存じだろうか。タミヤの社員としてミニ四駆の誕生から携わり、「前ちゃん」という愛称でブームの火付け役としても尽力した前田靖幸氏がその舞台裏を語る。 - なぜ「ビックリマン」は年間4億個を売り上げるまでのブームになったのか?
1980年代後半、日本中の子どもたちの間で爆発的なヒット商品となったのが「ビックリマンチョコ」だ。なぜビックリマンは年間4億個も売れるほど大ヒットしたのだろうか……? - 地ビールブームから一転、8年連続赤字で“地獄”を見たヤッホーブルーイング
現在、11年連続で増収増益、直近4年間の売り上げの伸びは前年比30〜40%増と、国内クラフトビール業界でダントツ1位に立つヤッホーブルーイング。しかしここまではいばらの道だった……。井手直行社長が自身の言葉で苦闘の日々を語る。 - 紅白歌合戦で39度の高熱、この失敗が仕事の意識を変えた
20年以上もプロとしてステージに立ち続けてきたMAXのLINAさん。さまざまな仕事の中で経験したこと、学んだことなどをこの新連載でビジネスパーソンに伝えていきます。 - 激戦ラーメン市場、それでも「一風堂」が選ばれ続ける理由
31年前に福岡で創業したラーメンチェーン「一風堂」の成長が止まらない。国内外で出店攻勢をかけているのだ。1年間で約3600ものラーメン屋が閉店に追い込まれる激戦市場において、なぜ一風堂は顧客に選ばれ続けているのだろうか。 - 元千葉ロッテ・里崎さん「僕がビックリマンPR大使になった理由」
ロングセラーのお菓子商品「ビックリマンチョコ」をもっと世の中に広めるため、2年前にビックリマン終身名誉PR大使に就任したのが、プロ野球・千葉ロッテマリーンズで活躍した里崎智也さんだ。里崎さんとビックリマンのかかわりとは? また里崎さんが選ぶビックリマンベストナインとは?
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.