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高橋利幸が「高橋名人」になった日:高橋名人が語る(7/7 ページ)
ファミコンブームの訪れとともに誕生した「高橋名人」。ハドソンの宣伝部に所属する一社員がどのような経緯で名人へと生まれ変わったのでしょうか。当時の裏側のエピソードを交えて高橋名人が語ります。
名物社員の起用方法
ファミコンとともに、名人もブームになっていくと、毎週末にはイベントの仕事が入ってくるようになりました。
最も多かったのは、営業担当が各チェーン店本部と決めてきた、店頭イベントでした。
1日で平均5〜6店舗を回って、店頭で子どもたちに話をするだけなのですが、集客は400〜500人ほどに上るので、店舗にとってもいい宣伝になっていたようです。
もちろん、その出演料はゲームカートリッジを買っていただくことになりますので、ハドソンとしても売り上げがありました。そういう意味では、「名人」はさまざまな面で影響をもたらしたのではないかと思います。
今の企業には、さまざまな分野で名物社員がいらっしゃると思います。そういう経験をした私が経営者の方々に伝えたいのは、彼らが紹介するのは所属している会社の製品でいいと思いますが、その活動以外の部分は、ある程度大目に見ていてあげてほしいなと思います。それが会社にとっても大きな成果をもたらすことになるかもしれないのですから。
次回は、ファミコンブームの終焉、その後のストーリーをお話ししたいと思います。
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