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島流しもへっちゃら!? 健康食品を食べて南の島で長生きした宇喜多秀家「真田丸」を100倍楽しむ小話(3/3 ページ)

関ヶ原の戦いで西軍の主力部隊として奮闘した宇喜多秀家は、後に八丈島へ流されました。そこでの暮らしぶりはどうだったのでしょうか?

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秀家の肖像画(出典:Wikipedia)
秀家の肖像画(出典:Wikipedia

編集部F: きっと秀家もアシタバを食べて、健康を維持したのでしょうね。関ヶ原で敗れたのに、温暖な南の島で悠々自適な暮らしをして、長生きしたなんて、秀家は幸せな人生だったのでは。

小日向: そうかもしれませんね。秀家は忠義を貫いて、最後まで気持ち的にも豊臣家のために戦い抜いたから、関ケ原の戦いで負けても納得している部分はあったでしょう。三成は処刑されましたが、秀家は生き残り、八丈島で余生を送ったわけですし。

 ところで、秀家の肖像画は一風変わっていますよね。彫が深くて漫画タッチ、少女マンガのヒーローみたいです。

編集部F: 当時にしては長身で、容姿端麗だったようです。ますます幸福な一生を過ごしたことでしょうね。

八丈島にある秀家と豪姫の夫婦像
八丈島にある秀家と豪姫の夫婦像
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