徳川家臣団に嫌われながらも家康に尽くした本多正信の素顔:「真田丸」を100倍楽しむ小話(2/2 ページ)
徳川家康の幼なじみであり、参謀として知られる本多正信ですが、一度は家康と敵対し、徳川家を離れました。それが正信のその後の人生において大きなターニングポイントとなったのです。
このように正信はいつも家康を諌める忠臣でした。例えば、家康が江戸の風紀を取り締まろうとしたとき、江戸での生活がおもしろくないものになってしまうと、大名たちを参勤させるのが難しくなり、反乱が起きる原因となってしまうので止めるように言いました。また、家康が幕府の仕組みなどあらゆることを決めようとしたところ、「秀忠(2代将軍)や家光(3代将軍)らがすることがなくなってしまうので、一代で何でも終わらそうとする必要はない」と説きました。
編集部F: まさに家康や江戸幕府を支えた功労者ですね。やはり本多家も大きくなったのでしょうね。
小日向: いえ、実はそんなことはないのですよ。こんなに貢献しているのに、正信はずっと1〜2万石でした。ダーティーなイメージがあるけど、素顔は欲のない倹約家だったのです。晩年、息子の正純に対して「3万石以上は賜るな」といった遺言も残しています。
ところが、正純の時代になって石高は十数万石になりました。そしてまた、秀忠との関係が悪化してしまったため、最後は失脚しました。
編集部F: 欲を出さずにお父さんの言い付けを聞いておけばよかったのに……。ちなみに、正信はいつごろまで生きたのですか?
小日向: 1616年4月に家康が亡くなると、主君の後を追うように6月に死去しました。家康はとても長生きしたと言われていますが、正信の方がもっと長く生きたのですよ。
編集部F: 家康を最後まで見届けたのですね。
小日向: 真田丸で描かれている正信は老獪だけど、真田信繁のことを助けたりするなど、けっこう粋な面もあります。ただの悪いヤツではないですね(笑)。
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