大酒飲みの福島正則、酒の失態で天下三名槍を失う:「真田丸」を100倍楽しむ小話(1/2 ページ)
加藤清正とともに幼少のころから豊臣秀吉に仕えた福島正則。その豪傑ぶりは時として大きな失敗も引き起こしました。
「真田丸」を100倍楽しむ小話
この連載では、歴ドル&信州上田観光大使を務める小日向えりさんとともに、NHKの大河ドラマ「真田丸」に登場する人物、あるいは名シーンなどを取り上げて、よりドラマを楽しめるような情報や小ネタをお伝えしていきます。連載バックナンバーはこちら。
編集部F: あの石田三成が泣いてましたね。
小日向: はい、泣いてました……。
編集部F: 先週(8月28日放送)の『真田丸』で、佐和山城への蟄居を命じられた三成が、「こんなに豊臣家のために尽くしてきたのに……」と悔し涙を流すシーンがありました。山本耕史さん演じる三成は、これまでどんなことがあっても表情一つ変えない冷徹ぶりだったので、よほど堪えた出来事だったということが明白でした。
小日向: 忸怩(じくじ)たる思いがにじみ出ていましたね。実は史実でも毛利家の記録に「佐和山に蟄居するときに石田三成は心折れたようで涙していた」というような記録があるんですよね。人前で涙するなんて、よほどいっぱいいっぱいになっていたんでしょう。蟄居するべきはルールを破っていく家康のほうだろう!と悔しい気持ちでいっぱいだったはずです。
編集部F: 加藤清正や福島正則など、豊臣家・武断派と三成との対立を、徳川家康がうまく利用した様子もよく分かりました。この連載で前回取り上げた本多正信は「いっそのこと全員を処罰しては」という恐ろしい助言を家康にしていましたが、清正や正則はまだ利用価値があるということで、あえて咎めることはありませんでした。ところで、正則はどのような武将だったのでしょうか?
小日向: 清正と同じく豊臣秀吉に小姓として仕え、賤ヶ岳の戦いで名を挙げました。絵に描いたような豪傑ですが、情に深くて涙もろい、良いヤツ感がありますね。それに無類のお酒好きです。
正則といえば、槍の名手で、天下三名槍の1つである「日本号」を愛用していました。ただ、それを事もあろうかお酒の失敗で失ったのです。
福岡県に伝わる民謡、「黒田節」をご存じですか? 「酒は呑め呑め呑むならば 日の本一のこの槍を 呑みとるほどに呑むならば これぞまことの黒田武士」という歌詞が有名ですが、この基になっているのが、正則と、黒田家の家臣である母里(もり)太兵衛とのエピソードなんです。
ある日、太兵衛は主君・黒田長政から正則のところへ使いを頼まれました。正則がお酒を一日中飲んでいるのを知っているので、長政から「酒を勧められても飲むなよ」と太兵衛は忠告を受けていました。案の定、正則に会うと、お酒を飲めと勧められたのです。いくら断っても駄目で、しまいには「それでも黒田の武士か」などと徴発されたので、太兵衛は意を決しました。飲み比べに勝てば何でも褒美をやろうと言うので、太兵衛は正則の日本号を望み、見事勝負に勝ちました。
次の日、正則は起きると日本号がないので大慌て。太兵衛に返してくれと言いましたが、約束なので返すわけにはいきませんと、あっさり断られたというわけです。
関連記事
- 徳川家臣団に嫌われながらも家康に尽くした本多正信の素顔
徳川家康の幼なじみであり、参謀として知られる本多正信ですが、一度は家康と敵対し、徳川家を離れました。それが正信のその後の人生において大きなターニングポイントとなったのです。 - バカ殿と呼ばれ続けた北条氏政に光明? 「汁かけ飯」に新解釈
戦国時代、関東の雄として君臨していた北条家を滅亡させた氏政&氏直父子。特に氏政は「バカ殿」ぶりを示すさまざまな逸話が残っています。そのイメージを覆そうとしたのが先週放送の「真田丸」でした。 - 汚名返上を願う! 豊臣秀次は地元に愛される名君だった
豊臣秀吉の怒りを買い、28歳の若さで亡くなった豊臣秀次。“殺生関白”というあだ名が付けられるなど、これまで悪名高いイメージがありましたが、実は地元・近江の人々からは今なお慕われている名君なのです。 - 正室から側室に格下げ それでも真田信幸を支えるけなげな「おこうさん」
大河ドラマ『真田丸』に登場して以来、ナイスなキャラクターで注目を集めている「おこうさん」。元々は真田信幸の正室でしたが、途中で側室になってしまった気の毒な人物でもあります。 - あの史実が明らかになったのは最近だった! まだまだ謎多き上田城
真田昌幸が居城とした信州・上田城。この城は何とっても攻め込んできた徳川軍を2度にわたり退けたことで有名です。実はいまだに謎が多い城のようです。 - 徳川家康が爪を噛み続けるわけ、それは……
忍耐、我慢――。徳川家康といえば、多くの人がこうしたイメージを抱くでしょう。そんな家康のクセは爪を噛むことでした。 - 本多忠勝の「蜻蛉切」は意外と……
昨年、“徳川四天王”の一人として武で名を馳せた本多忠勝の武器「蜻蛉切」が11年ぶりに一般公開されました。歴ドルの小日向えりさんも実物を見に行ったわけですが……。 - なぜ真田一族は忍者のイメージがあるのか?
猿飛佐助に霧隠才蔵――。真田信繁に仕えたこうした忍者たちは架空の人物とされていますが、どうして真田一族と忍者は強い結び付きのイメージがあるのでしょうか? - これぞ武士! 知将・大谷吉継と家臣との感動秘話
豊臣家きっての知将だった大谷吉継。関ヶ原の戦いで命を落としてしまうのですが、吉継には感動的な逸話がたくさんあります。 - 4度も姿を変えた伏見城、最後はバラバラに……
「幻の城」と呼ばれてきた伏見城。豊臣秀吉の隠居用屋敷として建てられて以来、何度も場所や作りを変えた珍しい城です。そして最後はバラバラに解体されるという運命に……。 - 鶴松の死を嘆く豊臣秀吉だが、実は3人目の子どもだった!?
豊臣秀吉と茶々(淀殿)の間に生まれた鶴松。この鶴松が秀吉の最初の子で、それまで秀吉は子宝に恵まれなかったと言われていますが、実は30代のころに子どもを2人もうけたという説もあるのです。 - 人気うなぎ登り! 石田三成は豊臣家の学級委員長キャラ
滋賀県とのコラボCMや三成タクシーなど、今ブームが巻き起こっている戦国武将が石田三成です。これまで長らく虐げられていた三成でしたが、実に優秀な人物でした。 - 生涯でたった1度しか笑わなかった上杉景勝
上杉謙信から家督を継ぎ、重臣・直江兼続とともに上杉家の発展に大きく寄与した上杉景勝。その人物像は無口で武骨、何と言っても生涯で1度しか家臣の前で笑わなかったそうです。 - 真田信幸は戦国トップレベルの身長&寿命だった
真田昌幸の長男として、弟・信繁とともに父を支えた信幸。後年は敵味方に分かれることになりましたが、家族の絆は変わりませんでした。そんな信幸は戦国時代には珍しいほどの長身だったようです。 - 虎退治の加藤清正、猛将よりも知将ぶりをアピールしたい
加藤清正という武将について、皆さんはどんなイメージを持つでしょうか。虎退治などで知られるように勇猛なイメージが強いのでは。けれども実は知的な面も……。 - 『天地人』では見せなかった直江兼続のホントの素顔
上杉家の直江兼続といえば、当主の上杉景勝を支えた股肱の臣として活躍しましたが、実はかなりの皮肉キャラだったようです。 - 大阪に“粉もん文化”を作った千利休
戦国武将に茶の湯を広めた立役者、千利休。実は大阪に根付いている「粉もん文化」を作ったとも言われています。 - 滝川一益と真田昌幸は似たもの同士だった?
歴ドル・小日向えりさんとともにNHK大河ドラマ「真田丸」にまつわる小ネタなどを紹介して、もっとドラマを楽しめるようにする新コーナー。第1回は滝川一益についてお話します(いきなりシブい!?)。 - 大河ドラマ主役の真田幸村、ところで何をやった人?
戦国時代の真田ファミリーを描く今年の大河ドラマ「真田丸」がいよいよ始まります。ドラマの中で主役となるのが真田幸村ですが、いったいどんな功績を残した人なのでしょうか。実は……。 - 虫嫌いに占いマニア、乙女な素顔の武田信玄
戦国時代、あの織田信長からも恐れられた武将といえば、甲斐の虎・武田信玄です。「風林火山」の軍旗を掲げ、果敢に諸国を侵略していった信玄公は勇敢そのもの。しかし実は乙女な一面を持っていたのをご存じでしょうか? - 歴史とネットにどっぷり浸かる私
読者の皆さん、こんにちは。歴史アイドルの小日向えりです。この連載では戦国時代の武将を中心に、その人物の知られざるエピソードやビジネス的なスキル、さらにはその人にピッタリなネットサービスを紹介したいと思います。 - 生涯で93回も引っ越し!? クレイジー絵師・葛飾北斎の素顔
江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の「富嶽三十六景」を一度はご覧になったことがある人は多いでしょう。富士山の世界文化遺産にも貢献したと言われる北斎ですが、実はかなりの変わり者だったようです。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.