「東京産カカオ」のチョコはなぜ生まれたか “チョコレート屋のおやじ”の夢:16年かけて商品化(2/3 ページ)
史上初の「東京産カカオ」を使ったチョコレートが商品化された。プロジェクトを立ち上げた平塚製菓の平塚正幸社長は、16年かけて“夢”を形にした。カカオ栽培から商品開発まで、どのように成し遂げたのか。平塚社長に思いを聞いた。
ハードルは「土づくり」と「発酵」
03年にカカオ栽培に着手した当初は、沖縄が栽培の候補地として有力だった。しかし、調査を進めるうちに、東京都の離島、小笠原村も気候条件を満たす候補地として挙がるように。「東京産」というブランドを掲げたいと、小笠原村の母島で栽培することに決めた。
手探り状態から始めたカカオ栽培は失敗の連続。最初に植えた1600個の種からは167本の苗が育ち、約30センチまで伸びた。しかし、その全てがそれ以上育つことなく、枯れてしまった。最初から仕切り直しになった。その失敗から、土づくりの重要性とハウス栽培の可能性に気付き、現地のパートナーと一緒に栽培環境から見直した。
カカオを育てる土は水はけがよくないとだめだという。腐葉土や堆肥の実験を重ねながら、最適な土になるように調整した。やがて木が育つようになっても、実がなる木とならない木があり、枯れてしまった木を植え替えることを繰り返した。
試行錯誤の末、13年10月にカカオ豆を初収穫。そして現在では、4500平方メートルの農園に500本のカカオの木が育っている。収穫量は年々増えており、今年は1トンを収穫。当面は、この500本の木で年2トンの収穫を目指すという。
しかし、収穫できればすぐにチョコレートが作れるわけではない。最大のハードルは、カカオ豆の「発酵」だった。チョコレートの原料としてカカオを輸入する場合は、現地で発酵、乾燥させた状態で仕入れる。日本でカカオ豆を発酵させた前例はほとんどなかった。
当初は、カカオの産地で行っている方法と同じように、バナナの葉で豆を包んだり、木箱に入れたりして発酵させてみた。しかし、「うまくコントロールできなかった」(平塚社長)。そこで、草加市の工場の敷地内にラボを設置し、温度や湿度を電気で調整できる保温庫を使って“最適解”を見つけることにした。「漬物と同じで、長く発酵させればいいというわけではない」(同)。ほどよく発酵する温度・湿度と発酵時間を探していった。
関連記事
- バレンタインで板チョコが人気になったワケ
近年、スーパーのバレンタイン用チョコレートコーナーでは「板チョコ」が山積みになっており、コーナーの半分ほどの面積を占めている店もある。10年くらい前までには見なかった光景だが、一体何が起きているのか。 - “売れるチョコ”の甘くないマーケティング戦略
2月14日はバレンタインデー。チョコレート市場は成長中で、企業のビジネスチャンスになっている。「元コンサルの脱サラ社長」が展開するMinimalのチョコレートの、甘くないマーケティング戦略とは? - 東京産のチョコはいかが? 平塚製菓の面白い試み
2018年、東京で収穫されたカカオを使ったチョコレートが発売されるかもしれない。チョコレートなどのOEMを行っている平塚製菓が、東京都小笠原村の母島で収穫されたカカオを使ってチョコレートの試作に成功したのだ。 - 観光客を呼べなかった「静岡のお茶」が、若い女性を引き付けている理由
静岡県中部地域で「お茶」を観光コンテンツ化する動きが活発だ。静岡のお茶を使ったかき氷を提供する取り組みは、SNSを使う若い女性客の心をつかんだ。なぜ今、知名度が高い「お茶」と観光を結び付けようとしているのか。背景には大きな危機感がある。 - 5万人を引き寄せる「パン祭り」を生んだ、まちづくりへの思い
2日間で5万人が訪れた「世田谷パン祭り」。全国のパン屋のパンを買うために、最大1時間半待ちの行列もできた。人気イベントはどのように生まれ、なぜ多くの人を引き付けるのか。仕掛け人に聞いた。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.