第3回 「ベル友」「メル友」が生まれたワケ緊急特集「さらばポケベル」(2/2 ページ)

» 2007年03月28日 07時30分 公開
[村田嘉利,ITmedia]
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「ベル友」は「メル友」に引き継がれたのか

 このように、端末デザインや送れる文字種別がプライベートユース向きになってきたことで、1993年ごろからポケットベルは急速にプライベートユースが増えていく。

 ベル友は、インターネットがまだ普及しておらず、事実上パソコン通信しかなかった当時の状況を考えると、世界で最初に起きた若者メッセージング文化といえる。

 初めて出現した「メッセージツール」という点と、そのユーザー構成の3分の2が10代の「ティーン・エージャー」という点から、公衆電話に列を成して待つ女子高生の様子やメッセージの早打ち競争の様子などが新たな社会現象としてマスメディアに取り上げられている。消防署からは、「救急車の隊員に連絡できない」との苦情というか悲鳴があがったこともある。

 ポケットベルのメッセージ文化がそのままケータイメールに引き継がれたという意見があるが、若干の疑問が残る。実際に、ベル友を構成するユーザー層の中心は女子高生であり、現在のように老若男女関係なく広く使われている状況とは大きく異なる。時間の流れで見ると、ポケットベルの利用者数は1995年をピークに減少の一途となっている。

 この年にPHSがサービスを開始し、ケータイのメールサービスの1つとなる「SMS」(ショートメッセージサービス)もスタートしている。ポケットベルユーザーがPHSに流れたと言われているが、その後のPHS契約者数の伸びからみると、それほど多くないと想定される。

 J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)が1997年に始めたメールサービス「Skywalker」によって、ポケットベルからケータイへの大きな流れが形成された。J-PHONEユーザーの中核は若者層で構成されていたことから、PHSとポケベル両方のユーザーの多くが、ケータイに移行したと考えられる。この時点のSMSサービスは、ケータイ端末同士の送受信に限られていた。ユーザー層も若者層が中心だったことから、ベル友を継承していたといえる。

 ところが、NTTドコモの「iモード」のメールサービスが、SMSのようなケータイ端末間のメールサービスではなく、インターネットメールを採用したことによって、質的変化を起こしたと考えられる。PCでインターネットメールを利用しているビジネスユーザーが積極的に利用し始めることによって、ケータイメールは若者だけでなく幅広いユーザに利用されるようになっていった。

 ケータイにおけるメール文化は、途中まではベル友ユーザーが牽引していったが、iモードの出現を契機にPCでメールを利用していたユーザーも流入した。メールのユーザー層が拡大することによって、最終的に女子高生だけでなく、老若男女関係なく幅広く利用されるようになったと考えるべきではなかろうか。

 次回は、モバイルコンピューティングの幕を開いたポケベルの功績を検証したい。

村田嘉利

岩手県立大学ソフトウェア情報学部教授。1979年〜2006年、NTTおよびNTTドコモにて移動通信技術やコンテンツ、マルチメディアサービスの開発に従事。2006年7月より現職。


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