第8回 ハッカーとオープンソースまつもとゆきひろのハッカーズライフ(2/2 ページ)

» 2007年10月29日 05時00分 公開
[Yukihiro “Matz” Matsumoto,ITmedia]
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フリーソフトウェアの起源

 そもそも、フリーソフトウェア自体も、自由の獲得が起源になっています。昔々、ソフトウェアはハードウェアの付属物であり、コンピュータを買うとソースコードごと付いてくることは決して珍しくなかったそうです。メーカーから買ってきたコンピュータにはOSすら付いておらず、「あらゆるソフトウェアはユーザーが開発する」というケースもあったようで、同じコンピュータを購入したユーザー同士は自分たちが開発したソフトウェアを交換して、お互い助け合っていました。洗練されていませんが、いまのオープンソースソフトウェアと少し似ていますね。

 その後、ソフトウェアは商品となり、ソースコードは簡単に外へ出せない「企業秘密」に変貌します。昔を知るものにとっては、だんだん自由が奪われていったわけです。それでも大学に所属している人々は相変わらずソフトウェア交換を行っていたのですが、その自由も次第に商用ソフトウェアに侵食されていきます。

 そして、とうとう大学で細々と行われていた自由なソフトウェア交換を揺るがすような「事件」が発生します。それは、本連載の第4回「Emacs対vi」で説明したEmacsにまつわる事件です。

 最初のEmacsは、リチャード・ストールマンという天才ハッカーがITS*上のマクロエディタTecoを使って記述したものです。使いやすいと評判になったEmacsは数多くの派生版を生み、後にJavaの設計者となるジェームズ・ゴスリングによって1981年にはUNIX版のEmacsが開発されます。ゴスリングによるEmacs(通称Gosmacs)は、MockLispと呼ばれるLispもどきの言語を使った拡張機能を持っていました。その後、ストールマンもUNIX版Emacsが欲しいと思い、Gosmacsをベースに変更作業を行おうとしました。MockLispではなく、本物のLispを組み込んだEmacsが欲しくなったからです。

 しかし、ゴスリングはGosmacsの権利をUnipress*という企業に売却してしまい、ストールマンはGosmacsのソースコードをベースにして新しいEmacsを開発できなくなりました。結局、ストールマンはゼロから開発した*のですが、まさにこのとき「ソフトウェアの自由は自分で守らなければいけない」ことが明らかになったわけです。この時点で「ソースコードが公開されているだけでは十分ではない」という事実に気づいたストールマンは、世間を15年先んじていたといえるでしょう。

 この後、ストールマンはソフトウェアの自由を守るための団体であるFSF*を組織し、ソフトウェアの自由を保証するライセンスであるGPLを定義し、また上から下まで完全に自由なOS環境であるGNU(GNU's Not UNIX)を作るべく積極的に活動し始めました。

 いや、ソフトウェアの自由は確かに大変重要なものですが、だからといって「そこまでやるか?」といいたくなります。この辺がストールマンの「ブレーキが壊れた」部分であり、それこそ彼が真のハッカーである証なのでしょう。フリーソフトウェア運動を推し進める彼の情熱とパワーには、敬服するしかありません。驚くべきエネルギーです。でも、そのおかげでストールマンは、プログラミングに割く時間があまり取れないそうです。彼の膨大なエネルギーを純粋にプログラミングに向けることができたらどんな偉大なことが実現できていただろうかと考えると、すごくもったいないような気がします。

フリーソフトウェアからオープンソースへ

 ある意味、現在は幸せな時代です。オープンソースは世間の注目を浴び、膨大なフリーソフトウェアの蓄積があって、ほとんどあらゆる種類のソフトウェアのソースコードを自由に閲覧したり、必要に応じて改造や再配布も自由に行うことができます。また、プログラミングに必要な情報のほとんどは、インターネット経由で瞬時に入手できます。UUCP*のバケツリレーでメールやニュースを受け渡し、ソフトウェアの配布は磁気テープの回覧で行っていたことが神話時代のことのように感じられます。

 しかし、そのような幸せと自由は、過去のハッカーたち(特にストールマン)が熾烈な闘争によって勝ち取ったことを忘れてはいけません。将来、再びソフトウェアの自由を奪い去ろうとする動きが発生しないとも限りません。実際にソフトウェア特許やDRM*の領域で、その傾向がうかがえます。わたしたちハッカーとその仲間たちは、いざというときに自由のために立ち上がる備えをしておくべきかもしれません。

このページで出てきた専門用語

ITS

ITS(Incompatible Timesharing System)は、MIT人工知能研究所(のハッカーたち)が独自に開発したOSである。当初はDEC PDP-6、その後はPDP-10で動作した。

Unipress

UnipressはGosmacsをUnipress Emacsという商品として販売を始め、自分たちが権利を持つUnipress Emacsのソースコードを再配布しないようにストールマンに通告した。しかし、ゴスリングがこの事態を望んでいたとか、予想していたと考えるべきではないと思う。

ゼロから開発した

これが現在も使われている(わたしも使っている)GNU Emacsの起源である。Unipress Emacsがもはや影も形もないことを考えると、皮肉なことである。

FSF

Free Software Foundationの略。

UUCP

UNIX to UNIX CoPyの略。一定間隔、あるいは要求に応じて電話回線などを使ってリモートホストに接続し、メールやファイルを交換する接続形態。

DRM

Digital Rights Managementの略で、音楽や動画などのデジタルコンテンツに対して、暗号化などを施して不正コピーや流出を防ぎ、正規流通を促進させる枠組み、およびそれに利用されるテクノロジー。


本記事は、オープンソースマガジン2005年11月号「まつもとゆきひろのハッカーズライフ」を再構成したものです。


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