オープンソースソフトウェアの開発にかかわっている人のインタビューをシリーズでお届けする「Open Source People」。記念すべき第1回はMatzのニックネームでも知られるまつもとゆきひろ氏の「人となり」に迫る。
オープンソースソフトウェアを開発しているのはどのような人たちなのか――オープンな場で開発が行われているとはいえ、そこで実際に作業している開発者たちを具体的にイメージできるという人は、案外少ないのではないだろうか。
一般にオープンソースソフトウェアの開発は、誰でも参加できるメーリングリストのようなオープンな場で行われている。そこを覗いてみれば、誰が、どんなことをしているのかということは、それこそ、いつでも誰でも知ることができる。しかし、誰でも閲覧できるからといって、みんながアクセスして読んでいるわけではないのが、インターネットの常でもある。また、開発の議論やソースコードがオープンになっているとはいえ、そこに参加している開発者たちの「人となり」まですべて分かるかというと、そういうものでもないだろう。結果、オープンソースソフトウェアの開発について、冒頭のような疑問というかモヤモヤを抱いてしまうことになる。
そこでここでは、オープンソースソフトウェアの開発にかかわっている人――あえてプログラマーに限定しない――のインタビューをお届けしていく。
「オープンソースの現場」で実際に手を動かしている人たちのことを具体的に知ることは、オープンソースに対する理解を一段深めるために役立つことは間違いない。なぜならオープンソースとは、理論とか法則というよりも、そこに人が集まるということにこそ本質があるからだ。開発者を知らずしてオープンソースを語るなかれ、である。
(風穴 江)
まつもとゆきひろは、オブジェクト指向スクリプト言語「Ruby」の作者として知られている。本名は松本行弘。海外ではMatzのニックネームで通っている。
以前、とある調査のために行われた、一線で活躍する日本のオープンソースソフトウェア開発者に対するインタビューを手伝ったことがある。そのとき「日本人で、オープンソースソフトウェア開発者として成功した人は誰か?」という質問をしたところ、話を聞いた十数人の開発者のほとんどが、まつもとゆきひろの名前を挙げていた。おそらく、もっと広い範囲の人に同じような質問をしたとしても、多くの人がまつもとの名前を口にするだろう。
そう考えられる最大の理由は、自分でオリジナルに開発したソフトウェアが、国内だけでなく海外でも広く使われているという圧倒的な実績にある。そのことで優劣をうんぬんするつもりはないが、とはいえ、誰かが開発したソフトウェアを日本語化したり、その改良に手を貸したりすることに比べて、やはりオリジナルのソフトウェアを開発するということは、それだけで一目置かれる存在となりうる。それが、国内のみならず海外でも熱狂的に使われるようになったとなれば、その度合いはさらに増すことになる。
さらにまつもとは、プログラムコードを書くばかりでなく、さまざまなメディアから受けるインタビュー、自らが書く記事やblog、そして国内外で開催されるイベントでの講演などを通じて、Rubyやオープンソースに関する自らの考えを発信することに積極的である。そうした姿勢や、内外でその言動が注目される存在になっているということも、多くのオープンソースソフトウェア開発者の「あこがれ」につながっている。
そんな彼も、Rubyの開発をスタートさせた14年前は、社内向けシステムを開発する一介のサラリーマンプログラマーにすぎなかった。それが今では、Ruby開発者として給料をもらう立場となり、会社にRuby関連での売り上げをもたらす原動力ともなっている。(敬称略)
―― 会社においては、まつもとさんはどういう立場なのでしょうか? 年間でこれぐらいの売り上げにかかわるべしというノルマのようなものはあるのですか?
まつもと いや、そういうのはまったくないですね。
―― というと、いわゆるフェロー(特別研究員)のようなポジションなのでしょうか?
まつもと それに近いでしょうね。
―― それでも、今の会社(ネットワーク応用通信研究所、以下NaCl)に入社したときから、そういう立場だったわけではないですよね?
まつもと 最初は違いましたね。なし崩し的にこうなったという感じです。まぁ、あまり仕事をしないのに、対外的な知名度だけが上がっていったので、結果的に会社としては、このような形でしか(まつもとを)使えなかったということだったのではないかと(笑)。
「仕事をしなかったから」というのは、もちろん、まつもとの謙遜だろうが、彼が入社した1997年当時、会社として今日のようなRubyのビジネスに確信があったわけでもなかったであろう。しかし今では、同社の売り上げの過半を占めるとまではいかないものの、Rubyのビジネスのために何人かの人員を配することができるほどになってきているという。
まつもと 最近は、Rubyを仕事にする会社が幾つか出てきました。例えば、Rubyを使ってCMS(コンテンツマネジメントシステム)やSNS(ソーシャルネットワーキングシステム)を構築し、それをビジネスにしているところがあります。あるいは、システムコンサルティング会社がRubyを積極的に活用する例も出てきています。
―― NaClは、そういった企業とのビジネスも行っているのですか?
まつもと そうですね。開発の規模が大きくなってくると、1人の優秀な技術者がとりあえず作りました、コンセプトはできましたというだけでは手に負えないことも出てきます。そういうところを手伝ってもらえませんかという相談がウチにくるわけです。
―― それは開発のお手伝いですか? それとも、バックエンドのサポートということでしょうか?
まつもと 今の話は主に開発の方ですね。ただ、バックエンドのサポートをすることもあります。「Rails Platform」というRuby on Rails*のための統合開発環境では、日本語化などの開発に加えて、バックエンドサポートとトレーニングをウチが提供しています。
―― そうした仕事では、まつもとさんの出番も多いのでしょうか?
まつもと いえ、わたしのところまで持ち込まれるようなケースはあまりないですね。Rubyのビジネスをやっているチームには、Rubyの主要な開発者として活動している者もいますので、ほとんどはそこで解決されてしまいます。
―― まつもとさん自身が営業的なところで動くことはあまりないのですか?
まつもと 例えば「Rubyのまつもとがいるから……」ということで仕事になっているものがあって、その打ち合わせに同席したり、僕自身が「客寄せパンダ」的に役立つときには営業的な打ち合わせにも出たりしています。
―― Rubyでのビジネスが増えてきたのは最近のことですか?
まつもと 特に今年になって急速に増えてきている感じです。この1年で大きく状況が変わりました。
―― やはりそれは「Rails景気」?
まつもと そうですね。Railsが日本でも使われるようになってきたということでしょう。
―― 今後もRailsのビジネスは増えていきそうですか?
まつもと 増えるのは増えると思いますね。ただ、あと1年もすればライバルが出てくるでしょうけど。今はまだ、そのほとんどがウチに来るような状態ですけども。
時期 | 出来事 |
1993年2月 | Rubyの開発を始める |
1995年12月 | Ruby Ver.0.95をfj.sourcesに投稿 |
1996年12月 | Ruby Ver.1.0をリリース |
1998年11月 | 「Perl Conference Japan」でRubyについて講演 |
1999年10月 | 「オブジェクト指向スクリプト言語Ruby」を上梓 |
2000年10月 | 英語で書かれた初の解説書「Programming Ruby: The Pragmatic Programmer's Guide」(Addison-Wesley刊)が出版 |
2000年10月 | 未踏ソフトウェア創造事業で「オブジェクト指向スクリプト言語Ruby次期バージョンの開発」が採択 |
2000年11月 | 初めての専門カンファレンス「Perl/Ruby Conference」が京都で開催 |
2001年10月 | 海外では初めての専門カンファレンス「Ruby Conference 2001」が米国フロリダで開催 |
Rubyによって作られた、Webアプリケーションのためのフレームワーク。日本でも複数の出版社から解説書が出版されるなど、大きな注目を集めている。やや古いが、DeveloperWorksにも「Ruby on RailsによるWebアプリケーションの高速開発」という記事がある。
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