米国発世界金融危機とノーベル賞伴大作の「木漏れ日」(3/4 ページ)

» 2008年10月14日 12時50分 公開
[伴 大作(ITCジャーナリスト),ITmedia]

ノーベル賞と金融危機、コンピュータの関係

 さて、一見全く関係がないように見える上記2つの命題を結んでみよう。20世紀最後から21世紀初めの米国に繁栄をもたらしたのは間違いなく金融産業だ。その原動力はこれも間違いなくコンピュータとそれを利用した金融工学だということは疑いようのない事実である。

 日本は1990年代半ばまでメインフレーム分野において米国を追い詰めた。しかし、米国はオープン化という流れに乗り、完全に日本勢をかわした。それどころか、一瞬のうちに形勢を逆転、21世紀になり、日本のベンダーは海外市場から撤退する羽目に陥った。

 なぜ、このようなことが起こったのだろうか。結論を先に述べるなら、結局日本はハードウェアばかりに投資を集中したからだ。ICT総投資額の中でハードウェアの占める割合が低下する時流を見誤った。

 これを最も象徴するのがパソコンの世界だ。わたしは長くこの世界に身を置いている関係で、海外での日本勢の活躍をよく知る立場にいた。1990年代初頭、まだ、IBMのパソコンが世界シェアナンバーワンの時代、NECの98シリーズも日本に於ける圧倒的な地位により、世界シェアで2位の座を占めていた。

 その時代、つまり、MS-DOSの時代にPC市場をリードしていたのは確かにハードウェアベンダーであった。しかし、16ビットパソコンから32ビットパソコンに主役が交代する時期を迎え、それまで脇役の地位に過ぎなかったソフトウェアベンダーのMicrosoftは、WindowsによりPCビジネスの主導権をハードウェアベンダーから完全に奪い去った。

 その後、メインフレームに代表される伝統的な大型サーバの市場規模はほとんど増加していない。それに対し、オープン系の高性能サーバ、中小型IA(インテルアーキテクチャ)サーバ両者の市場規模は爆発的に増加した。この動きを国産ベンダーは読み切れなかった。

 確かに、金融機関では今でも世界的に多くのメインフレームが使用している。しかし、そのほとんどは例外なしにIBM製品だ。日本製のメインフレームは日本国内に利用が限定されているといっても過言ではない。プラグコンパチブルマシン(通称PCM)は日立のスカイラインの栄光と伴に過去の歴史となって消滅した。

 現在、金融工学で使用されるマシンのほとんどはオープン系の高性能サーバだ。Sun Microsystems、HP、IBMのマシンが一般的で、日本のベンダーが付け入る隙はない。

 同じような現象が科学技術の世界でも起きている。地球シミュレーターが演算性能で世界一の座を獲得したが、獲得した日本より、奪われた米国の方が大きなインパクト受けたようだ。

 その後、米国政府は即座に首位奪還を目指した。グリッドコンピュータである。現在ではスーパーコンピュータトップ100のほとんどを米国製のマシンに占められているが、当時、米国政府の反応はすさまじかった。米国はスーパーコンピュータ性能世界一奪還をまさに国策として取り組んだ。

 21世紀を迎え、パソコンの大量導入に引きずられるように、ある意味でもっと大規模にオープン系サーバが企業に導入された。その多くは単なるファイルサーバか、もしくはグループウェア、ERPなどのパッケージソフトウェア主導で導入された。

 同じころ、企業内ネットワーク、インターネットの普及が進み、データ通信は従来の回線交換中心のビジネスモデルを駆逐した。そのころ急速に普及した携帯電話と相まって、コモンキャリアは大再編の嵐に遭遇した。

 ここでも、勝者に日本企業はいなかった。日本の企業が勝利を目前にして、停滞を余儀なくされたのは、ソフトウェアとそれを最適に動かすための仕組み、いわゆるシステムインテグレーションを軽んじたからにほかならない。

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