わが人生を悔いなく生きるオルタナティブな生き方 永井孝尚さん(2/4 ページ)

» 2010年09月30日 11時30分 公開
[構成:鈴木麻紀,ITmedia]

マーケティングへの挑戦

真の顧客志向に目覚めた30代

 早く現場を経験したいと考えていたところ、28歳で希望がかなって大和研究所に異動になりました。ここで製品プランナーとしてグループウェア製品を企画し、1992年に発表。しかしバブルが崩壊して企画時の見込み案件のほとんどが投資見送りになり、売れたのは予定の十分の一でした。わたしは責任を取るために製品のプリセールスになり、3年間全国で製品を売り歩きました。ビジネスパーソンにとってセールス経験はあった方がいいので、この時期セールスを担当することができて本当に良かったと思います。

永井孝尚さん 永井孝尚のMM21 永井孝尚さん

 1996年、34歳で製品開発チームのリーダーになりました。数百件の要望にチーム一丸となって対応したり、週末に障害対応の電話を受けたり、お客さまに厳しくお叱りを受けたり……でもやりがいがありました。

 しかし翌年、IBM全社判断で、グループウェアは当時買収したLotus Notesへ一本化することが決定し、この製品は機能強化を行わないことになりました。このときは考えましたね。「製品は競争力がある。お客様満足度も高い。何がいけなかったのか? 本来は何をすべきだったのか?」と。

 数カ月間考え続けて得た結論は、「プロダクトアウトがいけなかったのではないか?」ということです。新製品開発だけでなく、早い時期からLotus Notesに取り組むという選択肢も考えるべきでした。

 そんなとき、「マーケティングに興味はないか?」という話をいただきました。当時IBMはガースナー変革の真っ最中で、マーケティング力強化のために専門職を新設していました。わたしは自分が探している答えがそこにあるように感じました。そこで、製品の移行プランが一段落した1998年に、マーケティングマネージャーになりました。それ以来マーケティング一筋です。

 このときから「プロダクトアウトではない、真の顧客志向とは何か?」はわたしのテーマとなりました。

マーケティングの成功パターン

 40歳でCRMソリューションのマーケティング責任者になりました。マーケティング4年目のこのとき、マーケティング戦略を構築して実行し、成果を出す、という成功パターンをやっと実践できました。

 マーケティング戦略の出発点は、バリュープロポジションを関係者と徹底的に議論して共有すること。バリュープロポジションとは、「顧客のニーズに応える、自社だけが持ち、競合にはない価値」のことです。

 当時、CRMの先進事例を自社で持つCRMベンダーは極めて限られていました。その1社がIBM。関係者との議論を通して、お客さまが必要としているCRM実践経験を提供できることが、私たちのバリュープロポジションだと分かりました。

 そこで、IBMセンター見学プログラムを作り、CRM実装経験を提供できるサービスや診断プログラムをコンサルタントチームと開発し、コールセンター長のコミュニティーを作り、隔月で半日のセミナーを開催しました。その結果ビジネス目標を達成し、ガートナーの市場調査でも日本IBMはCRMベンダーとして第1位の評価を獲得することができました。

生涯の師との出会い

 マーケティング職になったころは、自分は現場経験も豊富だしなんとかなるだろうと考えていました。でも現実は違いました。当時のわたしは、大きな枠組みで戦略を考えることができなかったのです。

 そこでMBAでスキーム作りができるのではないかと考え多摩大学大学院に入学、夜間と週末で2年間通学しました。大学院では先生や友人との出会いを通じて、多くのことを学ぶことができました。特に田坂広志先生の薫陶を受け、その教えはその後のわたしの仕事観や人生観の核になっています。

 修了のとき、先生から「仕事が一番素晴らしい『学び』の場です」という言葉をいただきました。実際にマーケティング業務を通じて、次第にわたしならではのフレームワークを形作れたように思います。

田坂広志先生 恩師の田坂広志先生と

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