黎明期――モバイルワークが誕生した最初の一歩モバイルワーク温故知新(1/3 ページ)

連載「モバイルワーク温故知新」の第2回は、ようやくモバイルワークが実現できるインフラが見えてきたという黎明期にフォーカスし、当時の通信環境やワークスタイルを振り返ってみることにしよう。

» 2012年07月12日 08時00分 公開
[池田冬彦,ITmedia]

 モバイルワークの歴史をひも解くこの連載、前回は携帯電話の登場からPHSの登場に至るまでのモバイルコンピューティングの夜明け前を振り返った。第2回は、今日のようなモバイルデータ通信がまだ「夢の時代」であったころから、ようやく現実味を帯びてきた携帯電話の3Gサービスの開始、PHSサービスの普及にフォーカスして、モバイルワークの出発点を振り返ってみよう。

次世代携帯電話へのアプローチ

 モバイルワークを実践するには高速なワイヤレスインフラが必要であり、そのインフラとして機能するのは言うまでもなく携帯電話の通信網だ。携帯電話は当初、音声通話のための固定電話をモバイル化する目的で開発されたように思われるが、既に1980年代から携帯電話をデータ通信のインフラとして利用するための規格作りが進行していた。これが「IMT-2000(International Mobile Telecommunications 2000)」である。

 IMT-2000とは、第3世代携帯電話(3G)のための規格の総称であり、国際電気通信連合 (ITU) において標準化作業が進められた。それまでの第2世代携帯電話(2G)による通信の最大速度は28.8kbps(理論値)であり、実際の通信速度は半分程度か、それ以下という状況で、データ通信は現実的には厳しかった。このため、IMT-2000では有線電話のような音声通話品質の向上とともに、音声以外のデータを高速伝送できる次世代移動体通信の規格策定が目標に据えられた。

 1990年代といえば、それまで「ワープロ」「表計算」「データベース」を使うための事務機だったPCの使い方が大きく変わった時期だ。1993年のインターネットの商用化によってPCのネットワーク化が進み、1995年にはネットワーク機能(イーサネット)を標準で備えたWindows 95がリリースされた。また、当時はCD-ROMによる「マルチメディア」ブームが到来し、PCで動画を作成・再生できるようになるなど、コンテンツビジネスの黎明期にもなった。

 このような時代の中で、モバイル通信の実現へ向けた取り組みも本格化していた。IMT-2000は最大2Mbpsの通信速度でビデオなどのコンテンツを実用的に伝送することが目標として掲げられ、1999年に勧告が出された。具体的には、「W-CDMA」「CDMA2000」「ULTR-TDD/TD-CDMA/TD-SCDMA」「DECT、EDGE(UWC-136)」の5種類である。このうち、旧郵政省はW-CDMAとcdma2000の使用を決め、NTTドコモとJ-Phone(現ソフトバンクモバイル)がW-CDMAを、KDDI(au)がcdma2000の採用を決定した。

ITUが1999年に勧告したIMT-2000での5つの通信方式。CDMA、TDMA、FDMAの3つの方式による5つの規格が策定された(出典:国際電気通信連合「What is IMT-2000」より)
IMT-2000の適用イメージ。当時はPCや携帯電話などの移動体通信だけでなく、家庭やオフィス向けの固定網としての利用も想定されていた(出典:総務省「平成14年版 情報通信白書」)

先陣を切ったFOMAサービス

 携帯電話の3Gサービスで先陣を切ったのはNTTドコモだ。NTTドコモは「FOMA」というサービス名で、当初は東京都内、横浜、川崎市で実験的にサービスを開始し、2001年10月に世界初の正式な3Gサービスとしてスタートを切った。サービスインと同時に投入されたFOMA対応機種は「N2001」「P2101V」、データ通信カードの「P2401」の3機種だった。

 N2001はPCを接続して、パケット通信と回線交換方式の64kbpsデータ通信を行うためのPCカード(TypeII)やケーブルがオプションで用意されていた。これを利用すれば、下り最大384kbps/上り64kbpsのパケット通信ができた。P2401はN2001と同様に通信ができる史上初の3G通信カードだった。

 なお、P2101Vは携帯電話史上初のテレビ電話ができる機種として注目を集めた。テレビ電話の通信速度は64kbpsで、「未来の電話」を象徴する製品であった。NTTドコモはテレビ電話機能を全面的にアピールしてFOMAの訴求を図った。

 ただし、FOMAのサービス開始当初は、すぐに切れる、つながりにくいという問題を抱えていたため、ユーザーの不満が大きかった。この原因ははっきりとは分からないが、カバーエリアの問題などが発生していたものと想定される。それまでの2G携帯電話システムとの互換性が全く無いため、FOMAの基地局が無い地下街や電波の届きにくいビルの室内などでの利用は厳しかった。

 また、当時はパケット通信の定額料金制も導入されていなかったため、通信コストが高いという問題があった。テレビ電話を使う場合には、通話料金にデータ通信の利用料金も加算され、ユーザーには非常に高価なサービスとして敬遠されてしまったのである。

 公称サービスエリアも狭い上につながりにくく、料金が高いといった問題を抱えていたFOMAのスタートは決して芳しいものではなく、すぐに2Gサービスから乗り換えるユーザーは少なかった。もちろん、データ通信を利用する人は極めて少数派だった。とは言え、FOMAのスタートでPCの高速データ通信ができるという基盤そのものは整ったことになる。まさに、これが今日の主流である3G通信の"最初の一歩"だったことは言うまでもない。

 一方、NTTドコモと同じW-CDMA方式を採用したJ-Phoneは、2002年6月に3G通信の試験サービスを首都圏で実施した後、同年12月から正式に「Vodafone Global Standard」サービスを開始した(当時のJ-Phoneは英Vodafoneグループ)。通信速度はFOMAと同じだ。またKDDIは、2002年9月に「cdma2000 1x」サービスを開始した。このように、2002年12月時点で当時の全キャリアが3Gサービスをスタートした。

事業者 通信方式 サービス名 通信速度 サービス開始時期 当初のサービスエリア
NTTドコモ W-CDMA FOMA 下り最大384kbps/上り64kbps、または64Kbps(上り/下り) 2001年5月 東京23区、川崎、横浜
J-Phone(現ソフトバンクモバイル) W-CDMA Vodafone Global Standard 下り最大384kbps/上り64kbps、または64Kbps(上り/下り) 2002年12月 東京、名古屋、大阪
KDDI(現au) cdma2000 cdma2000 1x 下り最大144Kbps/上り最大64Kbps 2002年9月 東京、名古屋、大阪
日本国内で開始されたIMT-2000(3G)サービス。2001年にNTTドコモが先陣を切り、J-PhoneとKDDIが2002年からサービスを開始した
NTTドコモが投入した最初のFOMA端末、N2001とP2101V、P2401。当時としては高価な最先端の端末だった
種別 着信先 平日昼間の料金(円/30秒)
音声通話 営業区域内 14.5円
営業区域外 16円
64Kbpsデータ通信 営業区域内 26円
営業区域外 28.5円
FOMA発信時の料金体系。営業区域内で通話が3分間87円、データ通信が156円と非常に高価だ
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