なぜ「バカッター」はいなくならないのか?萩原栄幸の情報セキュリティ相談室(1/2 ページ)

昨年騒がれた「バカッター」問題は、今年も治まる気配がみえない。「バカッター」はなぜ出現するのかを考察してみたい。

» 2014年01月17日 08時00分 公開
[萩原栄幸,ITmedia]

 昨年末に本連載で「バカッター」について触れたが、その後もこれらの行為は無くならない。1月10日には女性がわいせつ画像を投稿したとして書類送検され、12日には高校生がファミレスでタバスコの瓶を自分の鼻に入れた画像を投稿して炎上になった。

 筆者が企業や自治体向けに行っている情報セキュリティやコンプライアンスに関するセミナーでも、半数以上がSNSに関するものになり、「若手や新人への注意事項を特別に説明してほしい」「当社からバカッターが出現したらイメージダウンになりかねないので……」という状況だ。特に消費者向けの商品やサービスを製造・販売している企業では、内定者向けにも個別に講習を開くことを検討しているところが急増している。企業側は自己防衛のために、こうした動きを取っているのだろう。

 ここまで社会問題になっている「バカッター行為」はなぜ無くならないのか。その原因について解説したい。

バカッターの視点

 実用日本語表現辞典では「バカッター」を次のように説明している

犯罪自慢を投稿して墓穴を掘る者が後を絶たない短文投稿サービス「Twitter」を揶揄(やゆ)して呼ぶ言い方。同様に「バカ発見器」とも呼ばれる。


 恐らくバカッターを実際に行った本人としては、取るに足りない行為なのだろう。店舗の冷蔵庫に入ったり、販売商品にイタズラしたりすることを世間が騒ぐこと自体、「おかしい」と思っている節がある。しかも、自分の氏名や行った場所を明示していないので、「捕まるはずがない」と考えている人が圧倒的に多い。

 行為そのものを別の視点みると、他愛のないものもある。筆者が若かった頃にもアルバイト先でごく一部の人が騒ぎを起こしていた。それがなぜ現在では許されないのか。時代が進んだのか、それとも世間の感性が変ったのだろうか。

 確かにそういう面もあるが、決定的に違うのは、現場をみている人間とネット上でその行為を知る人との関係性だろう。例えば、実社会で大型冷蔵庫の中に入ったとするなら、その現場を見ていたほとんどの人間が「友人たち」であり、感性を共感できる関係にある。行動しなかったにせよ、仲間を「笑い話」で済ませられる間柄だ。

 ところが、「笑い話」で済むだろうという感覚のままツイートし、情報を拡散させる。世の中の人の感性はそれぞれ違うという当たり前のことを理解していない。多少の勇み足と思っても「これまで許されていたから、今回も許される。いや、笑ってもらえるかも……」という考えが根底にある。「幼稚だ」と大人が批判しても、既に行ってしまったのだから「仕方ないよ」と感じるだけだろう。

 以前にも触れたが、このことは「メールと会話の問題」に似ている。メールが登場して間もない頃、会話と同じ表現でメールを送信してしまい、後で取り返しのつかない人間関係に陥ってしまう人たちがいた(筆者も苦い経験をしている)。人間が口頭で発した「言葉」はその場で消えたり、時間が経つと忘れられてしまったりするが、メールに記された「言葉」はデータとしてそのまま残る。メールでケンカした相手としばらくしてから仲直りしようにも、相手はメールを読み返す毎に「こいつはけしからん」と思い出し、その強烈な印象をいつまでも引きずる。その画像版が「バカッター」といえよう。

 出来事を写真や画像としてSNSに投稿するということは、その出来事が「事実」として固定化されることを意味する。本人が後から「そういう事実はない」と否定できるような出来事でも、SNSの視覚的なデータとなった瞬間に固定化された「事実」になり、どんな言い訳も否定もできないものになる。

 一方で投稿をした人物の行為を「けしからん」と考え、個人情報を徹底的に暴く人間もいる(これはこれで疑問を感じる行為だが……)。投稿した時点で本人は「匿名だから大丈夫」と思いがちだが、氏名、住所、学校(勤務先)時には家族構成や電話番号もネット上に晒される。全くもって軽い気持ちから、「面白い」「目立ちたい」という感覚でついつい投稿した結果はとても残酷である。

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