「多様性がないと生き残れない時代」 LGBT当事者が語るマネジメント論――川田篤さん「プロジェクトマネジャー」の極意(3)(1/4 ページ)

プロジェクトメンバーは多様性に富むのが一般的。異なる個性のメンバーを同じ目標に向かわせて成果を出すには――。そんなときに有効なのが「ダイバーシティ」という考え方だ。LGBT周知の旗手として、企業を越えて活動する“プロ”にその極意を聞いた。

» 2016年02月01日 08時00分 公開
[池田憲弘ITmedia]

 人間、誰しも人には言えない“秘密”が1つや2つはあるものだ。秘密にする理由は人それぞれだが、周りの人や何より自分自身にウソをつき続けながら生きていくのもまた、心苦しかったりする。

 「LGBT(※)」と呼ばれる性的マイノリティーの人々は、まさにそんな板挟みを抱えながら生きているのかもしれない。日本で7%程度いる(電通ダイバーシティラボの推計)といわれる彼らは、自らの性的指向を周囲に伝えられずにいるケースが多い。

※LGBT……レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字をとった性的マイノリティーを指す言葉。

 近年は企業や自治体を中心に同性パートナー制度などの環境を整備する動きが進んでいるが、ここ最近、30年来のそのような秘密をカミングアウトし、LGBT当事者や企業の人事担当者の間で話題になった人がIT業界にいる。日本IBMで働く川田篤さんだ。社内のLGBTコミュニティーのリーダーとして、ダイバーシティへの理解を求める活動を行う彼は、数々の表彰歴を持つ優秀なマネジャーでもある。

 「自分の仕事はチームがよりよい結果を出すための触媒。メンバーにはあまりプレッシャーをかけないようにしています。彼らに自由闊達にやってもらうのが自分のスタイルです――」。こう語る川田さんだが、さまざまな経験や失敗、そして自身が性的マイノリティーであることが、彼のマネジメントスタイルに大きな影響を与えてきたという。

photo 川田さんは、日本IBM内のLGBTコミュニティーのリーダーだとして、社内セミナーなどでLGBTやダイバーシティの周知を行っている

エンジニア志望のはずが営業配属、その後ライセンスのスペシャリストへ

 川田さんが日本IBMに入社したのは1985年。当時はいわゆる“バブル期”で、業界にこだわらず「面白そうだ」と思った会社にチャレンジする中で、同社の面接も受けたそうだ。

 「大学は文系でしたし、コンピュータを専攻していたわけでもなかったのですが、新しいモノやサービスを作れるという点で、IBMは世の中に大きな影響を与え貢献を生み出せそうだと思いました。今だから言えるのですが、ここまで長く勤めるとは当時は思っていなかったんです」(川田さん)

 こうしてエンジニアを志望してIBMに入社した川田さんだが、配属はなんと営業。大型コンピュータからPCまで扱う営業として「プライベートな時間の記憶がない」というほど仕事に没頭する日々が続いた。それでも、クライアントに新しいテクノロジーの説明をすると、興味を持ってもらえることが楽しかったという。

 営業として5年がたったころ、さまざまな経験をしたいということでバックエンド業務を希望し、PC部門に異動。その後PC部門がハードウェアとソフトウェアに分かれたことで、川田さんはソフトウェア部門で働くこととなった。製品の販売推進や代理店支援の業務を経て、1999年にソフトウェアのライセンスを扱う業務を任された。以来、15年以上ライセンスに関わる仕事を続けている。

 「当時はLotusを買収したあとで、製品のライセンス体系が大きく変わりつつありました。ソフトウェアの提供方法を根本的に変えるプロジェクトに、途中からプロジェクトマネジャーとして参加したのですが、ステークホルダーが多くて苦労しました。このときは周りの人に本当に助けられました」(川田さん)

 こうした経験が買われ、管理職となった川田さんだったが、そこで待っていたのは“修羅場”の日々だった。

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