ソニービルと3.5インチフロッピーディスクの思い出仕事と生活と私――ITエンジニアの人生(1/3 ページ)

1980年にソニーが開発し、最盛期には世界市場で年間約45億枚生産されたという「3.5インチフロッピーディスク」。その歩みを、エンジニア的な視点から振り返ってみます。

» 2016年11月23日 08時00分 公開
[横山哲也ITmedia]

この記事は横山哲也氏のブログ「仕事と生活と私――ITエンジニアの人生」より転載、編集しています。


 東京・銀座のソニービルで「It's a Sony展」が開催されている(2016年11月12日から2017年3月31日まで)。現在のソニービルでのイベントはこれが最後になるそうだ(「ソニー70年の歴史を振り返る「It's a Sony展」――銀座ソニービル建て替えを前に最後のイベント)。

 ソニーは、創業から現在に至るまで、さまざまな“画期的な”製品を出してきた。フィリップスと共同開発したCDは大成功したが、「エルカセット」のように、いまだに笑われている規格もある。家庭用ビデオ規格「ベータマックス」は「VHS」に負けたが、放送・業務用カムコーダでは「ベータカム」が事実上の標準となった。

3.5インチフロッピーディスクの販売終了

 ソニーが策定した、IT業界で最も有名な規格は「3.5インチフロッピーディスク(FD)」だろう。

 ソニーが3.5インチフロッピーディスクの販売を終了したのは2011年3月末である(ニュースリリース)。当時、既に多くの会社が販売を終了していたが、規格制定会社の撤退には特別な意味を感じた人が多かった。

 私が3.5インチFDを初めて見たのは1982年、ソニー製「SMC-70」の製品発表会の会場である。SMC-70は、8ビットCPU(Z80)を搭載したPCで、当時としてはグラフィック機能に優れたソニーらしい製品であった。その後、ソニーはSMC-70の改良型普及機「SMC-777」を市場に投入し、「MSX」PCとともに「HitBit」ブランドを展開した。

 MSX HitBitのイメージキャラクターは松田聖子で「私よりちょっと賢い」というコピーが使われた。「松田聖子よりもちょっと賢いくらいじゃ、大したことないな」という軽口がたたかれたものである。

 SMC-70発売当時、私は大学生で、発表会の後も残ってエンジニアの方にいろいろ質問していたら、3.5インチFDを1枚くれた。このFDは後にSMC-777を買った後輩にあげてしまったのだが、今思えば残しておくべきだったと後悔している。

 SMC-70に採用された3.5インチFDは、シャッターを開くための切り欠き(写真)と、シャッターを自動的に閉じるためのスプリングがついていない。そのため、手で開いてからドライブに挿入する必要があった。

 SMC-777のころにはシャッターの自動開閉機構が追加され、スプリングとシャッターを固定する切り欠きが追加された。後輩はカッターナイフで削って切り欠きを作ったようである。当時のFDは1枚1000円ほどしたはずなので、学生にとっては大事な1枚だった。

Photo SMC-777以降のFDにはシャッターを自動的の閉じるスプリングと、シャッターを開けたまま固定する切り欠きがある。

 SMC-777は、内部にCP/M 1.4互換のOSを搭載していたが、当時主流だった2.1とは互換性がなく、あまり大きな意味はなかった。

 一方、内蔵BASICは非常にユニークなものだった。例えば、ユーザー定義関数に名前を付けて再帰呼出しを行えた。設計者はLispの心得があるようで、関数定義内での変数代入命令はSETQだった。SETQはLispの関数で、Qは直後の引数を評価しない(変数名として扱う)quoteの意味である。BASICでquoteには何の意味もないので、「SETQのQって何やねん」と仲間内で笑い合っていた。

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