戦略、戦術、技術の一貫性は、なぜそれができるのかという「So What?」と、それができたから何なのかという「Why So?」という論理構造に支えられています。「言うだけ」と指摘されてしまうのは「Why So?」という戦術や技術の検証が不十分だからです。
過去に「DMPを使えば、顧客の顔が見えるマーケティングができるようになるから仮説立案や広告プランニングに活用できそう、ということで社内で検討が始まった。しかし、何か議論がフワフワしているから危ない気がしている」と私に相談をしてくれた方がいました。仮にAさんとします。
私はその方に次のように質問していきました。
松本: なぜ仮説立案に活用できそうなの?
Aさん: 顧客のデータが集まれば、何かが分かるから。
松本: なぜ顧客のデータが集まれば仮説立案に活用できそうなの?
Aさん: 顧客のデータがあればメッセージの送り手がよりはっきりするし、結果的にマーケティングの精度が上がるから。
松本: ちなみに今の精度はどれくらい? DMPでどれくらい高まりそう?
Aさん: ……。
松本: じゃあどんなデータが、どうやって集まるの? それって全顧客分?
Aさん: ……。
松本: ところで対象はWebだけなの? リアルはどうやって実現するの?
Aさん: ……。
このように、理詰めで考えていくということは、具体的に各論の反証を1つ1つ考えてはつぶしていくということです。面倒な作業かもしれませんが、具体性が詰まりますし、総論との整合性も取れます。各論反対で撃破されるような弱いロジックでは、「今のままでも良い」派を納得させることはできません。
どうやって実現するのか? という各論が中途半端になってしまうのは、実現可能性の調査を行っていないというケースもありますが、そもそも、戦術を考えていない思い付きの戦略論だったということも多いです。
戦略と戦術と技術。この3つがそろってようやく実行に移せて、成果を上げることができるのです。もちろん戦略は大事なのですが、それを下支えする戦術、特に技術論にもう少し目を向けても良いのではないでしょうか。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.