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» 2018年03月24日 08時00分 公開

いくら正しくても“失礼”だと敵視され、殺されてしまう (2/2)

[安達裕哉,ITmedia]
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 私が在籍していたコンサルティング会社で、「上司に物申す」のが非常に上手な人がいた。

 彼が徹底していたのが、「相手のプライドを傷つけないこと」である。

 彼は意見を言うとき、相手が間違っていても、必ず「◯◯さんの言うことは正しいと思います」とつける。

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 「ついでに、私の言っていることも、判断してもらえないですか?」と、相手に主導権を握らせる。

 そして何より、彼は、どんな相手にでも、たとえ嫌いな上司であっても、敬意を欠かさなかった。

 どんな相手でも、その人のいうことに一理を感じ取ろうとする、そのしぐさが、コミュニケーションを成立させていた。

 マネジメントの権威のドラッカーですら、「礼儀は重要」と説く。

 不作法を許してはならない。若い人は礼儀を偽善として嫌う。実質が重要だとする。雨が降っているのに「グッドモーニング」というのはおかしいという。

 だが、動いているものが接触すれば、摩擦が起こるのが自然の法則である。

 礼儀とは、この摩擦を緩和するための潤滑油である。若い人にはこれが分からない。昔は親にぴしゃりとやられたものである。

 必ずしも好きになれるとは限らない者同士が共に働くには、礼儀が必要である。大義は礼儀を不要にしない。不作法は人の神経を逆なでし、消えることのない傷を残す。逆に礼儀が全てをよい方向に変える。

 「正しさ」は、差し出し方を伴って、始めて意味を持つ。

 「私の言っていることは正しいから、相手を無礼に扱っても大丈夫だろう」などとは、ゆめゆめ思ってはならない。

 そのことを忘れたとき、「正しさ」は単なる「傲慢」に堕ちる。

著者:安達裕哉


この記事は、「Books&Apps」の安達裕哉氏の記事より転載、編集しています。


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