啓子は続ける。
「そういえば、システム障害撲滅キャンペーンの時にも、当時システム運用担当だった志路さんから、『開発時点で作り込まれた“潜在障害”が運用の段階になってやっと発覚するような事態が起こらないように、システム設計時点から運用設計を盛り込み、それを運用担当者が自ら確認するようにしろ』と言われて、教育の題材にしました。言っていることはすばらしいけど、1人だと教育へ展開するアイデアに限界も感じます」
啓子がため息をついて言う。
懐柔がそんな啓子をなだめるように言う。
「セキュリティ教育で教えるべき内容って、どの会社も基本的には同じだろ? それを自社に合わせて表現方法を変えればいいだけで。だったら、他社のCSIRTの教育担当と情報交換してみたらどうだろう? その方が効率的だし、ネタは流用できるし、新しい発見があるかもしれない。きっとどこもマンネリで、『受講率を上げるためにはどうすればいいか』とか、『現場からいいかげんにしろと言われてる』とか、同じ悩みを持っているだろうから、盛り上がると思うぞ」
――啓子は「なるほど、そういう手もあるな」と考えた。自社のCSIRTはチーム体制だが、教育担当は1人だけだ。悩んでも人は増えない。だけど、他社で自分と同じ役割を持っている人と交流できれば、それは社外にチームを広げられるようなものだ。セキィリティ領域は、他社との競争領域ではなく、いわば“協調領域”なのだから。お互いに得るものは大きく、Win-Winの関係になれるだろう。将来的には、自社のチームの枠を飛び越して、各企業のCSIRTが1つのチームになれば、こんな良いことはない。
啓子は、「良いヒントをもらった、さすがは善さんだ」と感心した。
「今度、CSIRTコミュニティーの教育担当と話をしてみます。できればその輪をひろげられるように、皆を説得してみます。教育ワーキンググループなども発足できたらいいな。メール訓練のこともまた聞いてみよう」
啓子はそう懐柔に宣言した。いつのまにか心が軽くなり、気持ちが既に前向きになっているのを感じた。1人の状況は変わらないのに、頼もしい味方がたくさんいるような気がした。
懐柔はにっこりと微笑んでいた。
夏の強烈な日差しは和らぎ、窓の外ではオレンジ色の光を遮った木々が長く影を落としている。
【第7話 完 第8話に続く】
イラスト:にしかわたく
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