ポニーキャニオン若手チームが仕掛けた「新しい共通言語」の作り方過去のノウハウが通用しない時代にデータをどう使うか

アーティストの作品を取り扱うコンテンツ産業は配信サービスの普及によってビジネスモデルが根本から変わった業界の一つといえるだろう。カンと経験のさじ加減が一切通用しなくなった激動の時代に、コンテンツを正しく育て、伝えるには何が必要なのだろうか。若手チームが手掛ける仕掛けを取材した。

» 2023年06月15日 08時00分 公開
[指田昌夫ITmedia]

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 音楽やアニメなどのコンテンツを企画制作し、販売も行うエンターテインメント業界大手のポニーキャニオン。自社内に音楽・映像制作のプロフェッショナルを抱え、オリジナリティの高い作品を発信できる強みを持っている。従来、レコードやCD、DVDといった、いわゆる「パッケージ」型の商材の企画制作や流通を主としたビジネスを進めてきたが、コンテンツ業界全体がストリーミング配信サービスなどの普及により、モノを持たないデジタル商材の流通へと変化する中で、同社のビジネスも大きな転機を迎えている。

写真左から、本稿の取材に対応いただいたポニーキャニオンのシステム部プロデューサーの細川祐樹氏、経理部マネージャー 斎藤 瞬氏、経営企画部マネージャー 檀原由樹氏。本社オフィスには記者会見やライブ演奏が可能なスペースも用意されている

コンテンツビジネスのバリューチェーン全体がまるごとひっくり返る転換期

 経営企画部マネージャーの檀原由樹氏は次のように語る。

,経営企画部マネージャー 檀原由樹氏

 「当社の強みは、コンテンツの上流である企画制作から、下流の流通機能までを一手に担っていることです。しかし近年、売るものがCD、DVDというパッケージメディアから、デジタルデータに大きくシフトしました。商品自体がデジタル化したことにより、企画、制作から流通までのすべてのプロセスでデジタル化が進み、制作物の多くはコンピュータの中で完結させられる部分が多くなりましたし、パッケージ流通のための倉庫などの物流網などもいらなくなったわけです。コンテンツを長く取り扱ってきたとはいえ、バリューチェーンの中のほとんどの部分で過去の経験が生かせないという課題に直面することになりました」

 従来のCDパッケージなどのコンテンツは、店舗キャンペーンや販売促進イベントなど、日本中を周って足で稼ぐことも少なくなかった。しかし、デジタルコンテンツの配信サービスは幾つかのプラットフォーマーが流通経路をにぎっており、その多くは地域や国を限定せず、グローバルで配信サービスを手掛ける。コンテンツをリリースすると同時に全世界に配信されることが一般的だ。

 従来であれば自社の販促の経験を生かして売ることもある程度は計算ができたかもしれないが、配信サービスの場合は提供元の意図しない売れ方をすることもある。

 「扱う商材の性質上、販売する私たちもシビアに数字を追いかけるというよりはアーティストの思いや芸術性、才能を信じてときには採算度外視でも伸ばすことに注力してきました。このマインドはいまも変わりませんが、これからは過去の経験則や情熱以外の手段も持つべきと考えました。私たちが把握しないところでコンテンツが注目を集めた時に、数字がなければその機会を逃しかねませんし、本気で応援するアーティストをどう売り出せば結果につながるかについての知見も蓄積できません」(檀原氏)

 檀原氏が責任者を務める経営企画グループでは、収益構造が変化する中、中期経営計画などに用いるデータの収集と分析が不可欠だと考えていた。

経理部マネージャー 斎藤 瞬氏

 一方、経理部門でもデータ分析についての課題を抱えていた。

 「当社では2021年の1月から新システムが稼働しています。それによってインプットは効率化しましたが、アウトプットの集計に関する機能は弱く、データ分析ができるBIツールを探していました」と、経理部マネージャーの斎藤 瞬氏は語る。

 流通経路が大きく変わり、見るべき情報が変化する中で、財務状況の把握はスムーズになったものの、せっかく集まる配信サービスなどの数字を十分に生かし切れていなかった。「どの国で何がウケているか」など、配信サービスの記録から得られる情報は大きい。だが、プラットフォーマーから提供されるデータは膨大なものであるため、着手する方法を決めあぐねていた。

 同社がセールスフォースからの紹介でBIツール「Tableau」に触れたのはちょうどその頃だった。デモを見た斎藤氏は直感的に「これだ」と感じ、すぐに経営本部長に提案した。経営企画部門のニーズとも合致したため、斎藤氏は経営企画も兼務。Tableau導入計画は加速した。

膨大すぎて分析できなかった配信サービスの状況を可視化

 Tableauの導入は2021年12月に100アカウントでスタートした。現在までの利用は、作品ごとの収支の可視化が中心だ。特に、グローバルな音楽配信プラットフォームのログの可視化に威力を発揮している。

 同社が楽曲を配信しているプラットフォームからは、配信状況のデータが随時届けられていたが、その量はプラットフォーム全体で月間数千万単位の行数に達する。

 「ボリュームが大きすぎて、手を付けられなかったのが実情でした。これだけのデータ量を軽快に取り扱えるTableauを導入したことで、スムーズにデータを可視化することができました」と語るのは、システム部プロデューサーの細川祐樹氏だ。

 配信データのグローバルな可視化によって、これまで分かっていなかった意外な事実が見えている。

 「海外で売れているJ-POPは、人気アニメの主題歌が中心ですが、Tableauによってどの曲がどの国や地域でどれくらい再生されているかが一目で分かります。アニメ作品のオープニング曲とエンディング曲で、売れている地域が全く違うケースもありました。今までは単に『海外で売れているね』程度の理解でしたが、可視化の粒度が格段に上がったことで、その理由を探りながら最適なプロモーションにつなげられます」(檀原氏)

 Tableauによる楽曲のグローバルでの配信状況把握は、世界地図上に分かりやすく表示される。同社ではこの画面を新入社員の研修で自社のビジネスを説明する資料としても使う。

Tableauで作成した「国別アーティスト別配信売上」ダッシュボードの例(出典:ポニーキャニオン提供資料)

基幹システムのデータ可視化とともに売れ行きの「勢い」を可視化

システム部プロデューサーの細川祐樹氏

 この他基幹システムに登録されたデータもTableauで分析できるように、細川氏らシステム部は、経営企画チームと議論を重ね、接続方法などの整備を進めた。

 もともと基幹システムのデータは社内申請のために最適化してあったため、データを取り出して分析することを考えていなかった。例えば販売店から届くCDの商品ごとの販売データに「そのCDがいつ発売されたものか」などの社内のデータをひも付ける作業も必要だった。

 「新しい基幹システムが外部パートナーの開発になったことで、データベースからデータを取り出す方法を聞き取って、整備するのに時間がかかりました」(細川氏)

 配信サービスについては、データ量の大きさから基幹システムに統合することが難しく、都度サービスにアクセスして取り出す形にせざるをえなかった。「以前は取引先に、当社が指定したデータ形式で出力を依頼していましたが、グローバルなプラットフォーマーは、1つの形式のデータを出すだけで、個別の要望には応えてくれません。つなぎ込みはこちらでやるしかありませんでした」(細川氏)。こうした苦労を経てデータ整備を進めながら、コアチームの段階で基本的な活用の方針を固めていった。

 初期導入から約半年後の2022年5月、役員に対してプレゼンテーションを行った。「プレゼンでは、あるアーティストの売れ行きの“勢い”を、さまざまな角度から分析、可視化して示しました。経営陣からは多くの意見が出ましたが、Tableauというツールの意義には理解が得られ、社長からもGOサインが出ました」(斎藤氏)。2022年6月から、Tableauを全社導入することが決定した。

売上、収益力……担当による解釈の違いを可視化して意識合わせ

 檀原氏、斎藤氏がBIツールの導入を急いだ背景には、環境変化によって、従来のビジネスの定説が通用しなくなっている事情があった。同社の若手プロモーターは、以前から経験と勘による宣伝のスタイルに懐疑的だったという。上層部の意識との間に乖離(かいり)が生まれていた。

 「昔であれば、大手レコード店の店長に電話して売れ行きを聞いたり、顧客層に関する詳細なデータを提供してもらえるサービスもあったりしました。しかし配信の時代にプラットフォーマーに電話しても、もちろん教えてもらえません(笑)」(檀原氏)

 販売チャネルの変化だけではない。アーティストとファンとがSNSなどを通じて直接つながることも可能になり、広告宣伝やマーケティングの考え方も根本から変わった。SNSで直接、新作情報の告知をして販売促進を図ることも多いため、フォロワー数はアーティストの人気度を示すバロメーターとなっている。

SNS投稿、ラジオのパワープレイよりもフェス参加にかじを切れ!

 つい最近まで同社をはじめ、業界内には「昭和的な感情論のようなものが残っていた」と檀原氏は話す。

 「かつてはプロモーターがラジオ局に通い詰め、所属アーティストの曲がかかるまで粘るようなことも日常的に行われていました。でも、ラジオのパワープレイでフォロワー数が増えるのかは、全く分かりません。経験やカンでは何も動かない時代になったということを実感しました」

 プロモーションの一環でSNSフォロワー数を増やす取り組みを試してみても、そのためのセオリーは感情や根性でどうにかなるものではない。

 一時期、アーティストの公式アカウントに投稿するコンテンツを増やすことがフォロワー数を増やす絶対条件だといわれたことがあった。ただ、その根拠はあいまいなまま「最低でも1日に○本」のような形で、ひたすらコンテンツをアップしようとする動きが見られた。

 檀原氏、斎藤氏のチームは「この定説は本当か」と疑った。そこで実際にTableauを使ってSNSの投稿とフォロワー数の推移を調べてみると、コンテンツの本数とフォロワー数の増加にはほとんど相関がないことが分かった。

 こうした事例は枚挙に暇がない。例えばアーティストのラジオ出演や、アルバムのリリースなどの情報は、フォロワーを稼ぐ絶好のコンテンツと思われていたが、あるバンドについては全く効かなかった。その代わりフェスのように多数のアーティストが集まるイベントに参加する情報をアップするとフォロワー数が伸びていることが分かった。そこから、このバンドはフェス出演を重視したプロモーションに切り替えている。

 「プロモーションの仕方は作品ごと、アーティストごとに違うため、経験値や勘が必要な部分もあるでしょう。ただ、そこにデータを加えることで、施策の優先順位を決めて取り組めるようになります。それがアーチストにとって一番良い成果につながると考えています」(檀原氏)

 闇雲に時間と労力をかけるのでなく最も効果が見込めることから動くことで、限られた宣伝のリソースを効果的に使えるようになると、檀原氏は期待する。

各現場部門に「Tableau使い」を増やす活動を開始

 Tableauのアカウントは全社に配布され、データを可視化した結果を誰でも見られるようになった。しかし、そのダッシュボードを作成できる人を増やさなければ、データドリブンな業務は広がっていかない。

 Tableau導入後、社内からの要望には、斎藤氏以下の少数のメンバーで対応、支援してきた。だが、増え続ける分析ニーズに対応しきれなくなってきたことと、より効率的な運用を進めるため、2023年4月から現場部門のマネジャークラス10名によるプロジェクトチームを発足した。斎藤氏が指南役となり、現場の中にTableauのエキスパートを増やす活動を開始している。

 「いまはマーケティング、管理部門が多いのですが、各部門に分析できる人がいてほしいので、半年ごとにメンバーを入れ替えていきます。今後は、研修の対象を一般の従業員にも拡大して、Tableauのエキスパートを増やしていきたいと思います」(斎藤氏)

 従業員は当初、本業の傍らTableauを覚えることに抵抗があり、自ら手を挙げる人が少なかったというが、「成果が見えてきたことで、最近は関心が高まっています」と斎藤氏は手応えを感じている。

 「当社では中期経営計画の中で、グローバルビジネスの強化を掲げています。その際、配信サービスを含めた海外の販売状況を把握し、戦略につなげなければいけません。ちょうどTableauによる経営ダッシュボードの設計を急ピッチで進めているところです」(斎藤氏)

ビジネスの成果を再定義して従業員の意識をそろえる

 Tableauの推進チームでは、経営だけでなく現場も、感覚値と実際のセールスのズレや誤解が明らかになることでデータドリブンへの意識が高まってきたと感じている。

 「かつてはCDとDVDの売り上げが100%だった当社が、デジタルの事業が増えてきたことで、収益源があちこちに分散し、見えにくくなってしまいました。権利の割合もコンテンツによって異なります。その結果、例えば売上高といった基本的な言葉の定義も個人個人で違っていました。それをTableauによるデータの可視化によって正し、実態に合わせた収益を再定義できると考えています」(檀原氏)

 「将来的にはTableauの活用を事業のサイクルに乗せて、関係者がデータを共通言語にしたコミュニケーションをとれるようにするのが目標」と斎藤氏は言う。さらにその先には部門間の壁も超え、データ駆動による全社最適な社内リソースの配分を実現する可能性も見える。

 「Tableauによって環境は整いました。データは誰かが用意してくれるもの、という考えを改め、それぞれの現場でデータを集め、分析できるという社内カルチャーを根付かせていきたいと思っています」(檀原氏)

 古い価値観から脱却し、データを軸にした新しい気付きと議論を重ねる。ポニーキャニオンのコンテンツビジネスは、新たな段階に入ろうとしている。

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