ポーラ・オルビスホールディングスが取り組むAI人材育成 現場の声は社内AI人材育成の実際は? DX推進担当者の声、受講者の声

ポーラ・オルビスホールディングスがAI人材育成を進める。非IT人材にプログラミングの基礎から本格的なデータ分析の手法までを教育し、業務課題の解決につなげている。データ分析やAI人材育成をテーマに執筆活動などを幅広く手掛ける筆者が研修の企画者と受講者にそれぞれの感触を聞いた。

» 2023年11月29日 08時00分 公開

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 データドリブン経営を目指してデジタル人材育成を宣言する企業やリスキリングによる人材活用を目指す企業が増えている。こうした中、「ChatGPT」を始めとする生成AI(人工知能)の登場で、デジタルスキルの中でもデータ活用やAI利用のナレッジを持ってビジネスアイデアを具現化する人材が求められるようになってきた。

 化粧品大手のポーラ・オルビスグループもそうした企業の1社として、DX(デジタルトランスフォーメーション)推進とAI人材の育成に注力しており、システム基盤の整備やAI人材の育成、自社が持つ豊富なデータの活用の3つを軸に、顧客体験価値を提供する企業へと変貌を遂げようとしている。同グループの変革をリードするメンバーにその取り組み内容を聞いた。

既存事業の強化と収益性向上を原資に成長するためのデジタルスキル向上を目指す

 ポーラ・オルビスグループは現在、「感受性のスイッチを全開にする」をミッションに、2029年のありたい姿として「多様化する『美』の価値観に応える個性的な事業の集合体ブランドひとつひとつの異なる個性を生かして、世界中の人々の人生を彩る企業グループ」(VISION 2029)を目指す長期経営計画を推進中だ。化粧品を中心とした価値提供、ウェルビーイングや社会領域への事業ポートフォリオ拡大とサステナビリティ強化に加え、新規事業推進を目的に既存事業の強化と収益性の向上を目指している。

 このVISION 2029に向けた第一ステップとなるのが、既存事業の基盤構築やポートフォリオの再構築を進める2021〜2023年度の中期経営計画だ。この取り組みの核の一つを担うのがデジタルシフトの推進やOMOの強化、ダイレクトセリングのデータ資産を生かしたライフタイムバリュー(LTV)最大化だ。

 これらの取り組みを実現するには、各事業領域の従業員一人一人がデジタルスキルを高めていく必要がある。

市民開発ではなくデータ分析のためのプログラミングスキルを求めた理由

 同社は社内AI人材育成を目指して、外部の人材育成講座を使い、従業員のスキルアップを図っている。目標は「ビジネス課題をITエンジニアと同じ目線で語り、課題解決の道を見つけるスキルを身に付けること」だ。

 ここで同社が選択したのは市民開発ツールなどの研修ではなく、プログラミングの基礎から学ぶ研修制度だ。現在は、プログラミング知識ゼロだった従業員であってもPythonの拡張ライブラリ「NumPy」を使いこなし、データ分析アイデアコンテストに参加するようになったという。

 本稿は同グループの研修プログラムの詳細を、研修プログラムを選定した同グループDX推進担当者と、実際に参加した受講者の両方から話を聞いた。聞き手は筆者(マスクド・アナライズ)。

ポーラ・オルビスホールディングス 足立浩之氏。2016年入社。2023年から事業開発室へ配属となり、新規事業開発に関する制度設計、事業化に向けた支援を行う。
ポーラ・オルビスホールディングス 総合企画室 吉村 隆一郎氏。ポーラ・オルビスグループのDECENCIA(ディセンシア)にてデジタルマーケティングやSaaSに関するシステム企画を担当。後にAIスタートアップに転職後、2021年に足立氏からの誘いもありDXの企画推進担当として入社。

筆者紹介:マスクド・アナライズ

ITスタートアップ社員として、AIやデータサイエンスに関するSNSにおける情報発信で注目を集める。同社退職後は独立し、DX(デジタル・トランスフォーメーション)の推進、人材育成、イベント登壇、記事や書籍の執筆などで活動中。

執筆・寄稿歴はITmedia、ASCII.jp、Business Insider Japan、翔泳社など多数。

著書に「データ分析の大学(MdN)」「AI・データ分析プロジェクトのすべて(技術評論社)」「未来IT図解 これからのデータサイエンスビジネス(MdN)」がある。



――ポーラ・オルビスは化粧品業界大手という立場ですが、組織におけるデジタル戦略についてどんな課題があったのでしょうか。

足立浩之氏(以下、足立氏): ポーラ・オルビスグループとして、ITによって業務の効率化、あるいは新規事業で何らかのインパクトを出す施策ができないかを考えていました。「既存事業の推進のためにデータを活用する」「今まで実現できなかったことをデータで実現する」という2つの方向性です。

 その中でもまず着手すべきこととして「売上を伸ばすためにデータを活用する」を挙げていました。われわれは化粧品のブランディングから製造、販売までの工程に一貫して携わっており、業務を通して大量のデータを保有しています。例えば、お客さまの顔写真や店頭におけるカウンセリングで得た情報など、現場にはさまざまな知見がたまっています。

 しかしこうしたデータの中には、保有してはいるものの活用できていないものがあります。「眠ったデータ」「埋もれたデータ」の方がずっと多いのです。こうしたデータを正しく扱える人材を育成するために、研修を企画しました。

――従業員の方が受けられた研修はエンジニア向けで難易度が高いものと聞いています。どのような背景で研修メニューを選定されたのでしょうか。

足立氏: 研修の選定では複数社の候補があり、どれも素晴らしい内容でした。その中でも理論やプログラミングを学ぶだけではなく、学んだ知識を生かして実際に現場のデータを利用して問題解決まで行う「プロジェクトワークショップ」を実施するなど、より実践的なプログラムとして、iLect(アイレクト)*を選択しました。

 私自身が過去に(日本におけるディープラーニングの第一人者である)東京大学の松尾 豊教授の講座を受講したことがあり、今回選択した講座も東京大学からライセンスを受けている点で安心感があったことも選択を後押ししました。

*iLect(アイレクト) iLectはNABLAS社が運営するAI人材育成・人材開発サービス。東京大学からライセンスを受けた教育プログラムを提供し、AI研究に従事するスタッフが中心となったサポート体制を持つ。演習では、独自に開発したプログラミング環境iLect Systemを使うため、環境構築などは不要。精度の高いAIモデル開発を目指しながら、実践的な技術やテクニックを学ぶプログラムを提供する。

Webサイト:https://www.ilect.net



――難易度の高い講座ですから反対意見もあったのではありませんか。

足立氏: 上司からは「プログラミング未経験者にとっては難しすぎるのでは」という意見もありましたが、実際にはプログラミング未経験の状態で参加した受講者の中からも修了後にデータ分析コンペに参加する人材も出ています。手を動かしながら学ぶことの重要性を感じました。

吉村 隆一郎氏(以下、吉村氏): たしかに難易度は高いのですが、ひと通りの座学の研修が終わって終了ではなく、プロジェクトワークショップを通して業務における課題を解決する流れまで実践できる研修だったため、受講後に実際の業務で活用していくことをイメージしやすかった点も良かったと思います。

図 実際の受講プログラムとスケジュール、カリキュラムの一例(出典:iLect提供資料)

ティーチングアシスタントによる伴走で問題点を明確化できた

――難易度の高い講座で学習を継続できた理由は何があるでしょう。

足立氏: 初めての取り組みなので試さなければ分からない部分もありますし、実際には全員が講座を修了できたわけではないのも事実です。プログラミングの初歩でつまずき、そのまま脱落した人もいます。一方で全くの未経験から、データ分析コンペに参加するほど上達した従業員もいます。

 今回の研修ではティーチングアシスタントが伴走する形式だったため、例えばプログラム実行時にエラーが出たら一緒にコードを見ながら原因を探り、一緒に検討しながら問題解決の方法を解説したり修正したりといった支援を受けられたため、モチベーションを維持できたようです。

 企画担当者としては毎週、講義後のアンケート結果を見ながら難易度を調整したり難しいトピックを詳しく解説するようにしたりするなど、受講者が挫折しないような調整を研修担当者に依頼していました。特にプログラミングは序盤で挫折すると、あとの講義が全部無駄になってしまいます。理解度が低い受講者に対しては少し前にさかのぼって復習する時間を設けるなど、研修担当者に配慮していただいています。

――プログラミングよりも理解しやすい「Microsoft Excel」(Excel)やノーコードツールを題材とした研修も考えられたのではないかと思います。

吉村氏: もちろん講座の選定段階ではExcelやノーコードツールも候補に挙がっていました。しかし「プログラミングの考え方や理論から学ばなければツールを使いこなせないのでは」という懸念もありました。そこであえて難易度は高くてもプログラミングや理論から学んでおくことを最優先に考えました。

 実際の現場の課題を解決するプロジェクトワークショップにおいては(基礎を踏まえた上で)最適な手段を選べば良いと考えました。受講生たちが複数の解決方法を検討した結果、プログラミングよりもExcelやノーコードツールが最適、と選択できるようになれば、それで良いと考えたのです。

100人以上の申し込み、成果ワークショップにも従業員が高い関心

――プログラミング研修は社内でどのような反響がありましたか。研修後に変化があればお聞かせください。

足立氏: 当初は定員の枠が埋まるか不安もありました。しかし社内向けに告知イベントを行ったところ、100人を超える参加者から申し込みがありました。

吉村氏: 大きな変化を感じたのは、データ分析によって業務改善を実現するプロジェクトワークショップを実施したときです。プロジェクトワークショップの結果を社内イベントで発表したところ、業務時間中で長時間の開催だったにもかかわらず、100人以上の従業員が視聴したのは驚きでした。

 弊社は化粧品を扱っている関係から、美や芸術について関心が高い従業員が多く、アートやデザインをテーマとする社内イベントは人気があります。しかしデータ分析のイベントでこれだけの従業員が集まったのは驚きでした。

――研修で得られた成果を皆さんはどう見ていますか。

足立氏: 当初の目標は「実際のビジネスにAIを活用できるようになること」、つまりプログラミングの習得までは及ばずともITエンジニアと同じ目線で会話をしながら企画立案ができることでした。例えば企画立案から外部のコンサルタントに丸投げしたとしても、内部にある程度知識のある者がいない状況では企画の実現までに時間も費用もかさむことが想定されます。そこで事業会社として、自分で手を動かしながら「デジタルでやるべきこと」を理解し、エンジニアと同じ視座で課題に取り組めるスキルレベルを目指しました。いわばビジネスとITエンジニアリングをつなぐ通訳の役割ですね。

 費用対効果とし従業員自身が実行できるようになったため、非常に高い成果がありました。今回の研修では9つのチームが実業務の課題解決に取り組み、それぞれが一定の成果を出しています。課題の発見からデータ収集、プログラミングやデータ分析によって問題を解決するという一連の流れを経験できたことは高く評価しています。

――グループとして、今回の研修の取り組みはどう評価されていますか。

吉村氏: 受講者だけでなく社内の情報システム関係者に加えて、マネジャーや役員など管理職以上の層からも高い評価をいただきました。特に「プロジェクトワークショップにおける発表会のおかげで、AIやデータ分析における成果について明確なイメージを持てた」という声が印象的でした。

足立氏: 役員からも「プロジェクトワークショップと発表会が良かったので、次の講座も準備してほしい」と評価いただきました。また、店舗でお客さまに化粧品を販売する「ビューティーディレクター」にも、デジタルを前提とした業務遂行が必要と考えています。今や従業員よりもお客さまの方がSNSやアプリなどデジタルに詳しいという状況は許されないでしょう。デジタルを通してお客さまに化粧品と体験を届けることが当たり前になっており、よりデジタルを活用すべきと考えています。

 今後も研修を継続して実施する考えです。受講生が増えれば、AIやデータ分析を活用できる場面も増えていくでしょう。そこで、今後は定期的に新たなテーマを学習する機会も作りたいと考えています。個別のセミナーや勉強会のような形で、定期的に学習とアップデートを続けられる環境を整備することで、データの利活用をポーラ・オルビスグループ全体に定着させていく考えです。

AIスキル獲得を従業員はどう見ているか

 同社の研修を、受講者であるグループの従業員はどう感じているだろうか。同グループの中核として化粧品の製造販売を行うポーラに所属する上田亮太氏(SCM部・企画購買チーム)の場合を見てみよう。

ポーラ SCM部・企画購買チーム 上田涼太氏。2021年入社。海外市場向けの販売業務を担当する

――上田さんが研修に参加した理由をお聞かせください。

上田涼太氏(以下、上田氏):以前AIやデータ分析の導入に関するニュースを目にしており、私が担当する海外市場の需要予測にも活用したいと思っていました。そこで自分でもAIの勉強を始めたものの独学ではわからないことが多く、手詰まりになっていた時にAIスキルに関する研修の募集があり、すぐに手を挙げました。

――難易度の高い研修内容ですが受講前に不安はありませんでしたか。

上田氏:プログラミングや数学、統計などは未経験だったので、やはり不安はありました。一方でそれらが独学でAIを学ぶ上での壁になっていたので、受講しながら分からないことはティーチングアシスタントの方に質問して一つ一つ疑問点を解消していきました。講義と直接関係ない部分でも教えていただけたので理解を深めることができたと思います。オンラインで受講できたため、PCとインターネット環境があればどこでも学べるので、定常業務との棲み分けを図ることで、快適に学習を継続できました。

 ティーチングアシスタントの方からは分からない点を親身になって教えてもらえたため、インプットの質を向上できたと感じています。伴走型のサポートを受けたことで、上手くいかない原因が何なのかも明確になったことも良かった点です。未経験者にありがちなのかもしれませんが、上手くいかない原因が自分の能力不足なのか、そもそも問題が難しいせいなのかが分からないことがありましたが、TAさんに相談することで、問題の難易度や解決のコツを知れたことが、継続する自信に繋がりました。例えばプログラミング講座の序盤でNumPy(※)の学習があったのですが、まだプログラミング学習を始めたばかりだったので戸惑いが大きかったです。そこでもTAさんに相談できたのは良かったと思います。

*NumPy(ナムパイ):プログラミング言語のPythonにおいて、数値計算を行う拡張モジュール。



――業務の合間で受講したことと思います。勉強時間の確保でなにか工夫はされましたか。

上田氏: オンライン講座ということもあり、場所問わず受講できるので、学習時間を確保するには工夫が必要でした。講義中はチャットやメールの通知をオフにし、事前に社内メンバーに「講義中には連絡取れません」と伝えるなど、自主的に講義の時間を確保していました。事前に周囲を巻き込んでいたおかげで「どんなことをやっているの?」など、上長から声をかけていただく機会もあり、社内のコミュニケーションが増えたように感じています。

――受講後にはどれぐらいプログラミングスキルが身につきましたか。

上田氏: 全くの初心者でしたが、受講後には業務における課題設定からデータ分析のためのAI開発、需要予測までの一連の流れを自力で行えるようになりました。研修を通じてAIの活用方法を学べたのと同時に、AIがどのような仕組みで動いているかを理解できたことも成長やモチベーションにつながっていると感じています。AIを基礎から理解できたことで課題解決のソリューションが1つ増えたので、今後社内課題の解決に向けて活用していきたいと考えています。

他部門と共同での課題解決プログラムで業務知識も深まる

――研修の集大成ともいえるプロジェクトワークショップはどのように取り組みましたか。

上田氏: プロジェクトワークショップでは課題設定からデータ分析による解決として、海外市場の売上予測に取り組みました。チーム構成は部門長、私と同じ海外業務の担当、国内の物流担当、そして私という4人です。

 役割分担は私がプログラミング、部門長が作業全体のプロジェクトを管理し、担当業務の経験が長い残りの2人にはデータ分析のアドバイスをいただくことにしました。

 この構成にしたのは、自分だけで分析しても視野が狭くなってしまい、正しいと思った結果も客観的に見ると問題があったためです。例えば私は時系列データに注目しがちでしたが、先輩社員からは業務知識や経験に基づいて商品カテゴリーから分析する方法を教えてもらいました。さらに国内市場でも商品の特性によって売れる要因が異なったり、新規客と既存客で売れ方が異なったりする点もアドバイスいただきました。また、市場規模が大きい中国では、文化的な背景も分析に反映されています。

 プロジェクトの進行においては、部門長がガントチャートを使って作業スケジュールを作成して進捗(しんちょく)を管理してくれたおかげで期限内で成果を出せました。

 今回のワークショップを通じて、普段の業務では直接関わらない部門のメンバーを交えて活発に議論することで多くの新しい観点を得られました。こうした環境もあり、プロジェクトワークショップの発表会では好成績を残せました。

さらなる業務改善を目指したスキルアップを希望

――データ分析スキルを身に付けた今、どのようなことに取り組みたいですか。

上田氏: 私が担当している需要予測の領域において、データ分析の結果を活用できるデータサイエンティストになりたいと考えています。

 弊社はまだデータに基づいて意思決定を行うデータドリブンが弱いところがありますので、需要予測に限らず他の分野でもデータ分析を通して貢献していきたいとも思っています。将来的には売上や在庫のような数字のデータだけでなく、画像や音声のデータ分析にも携わりたいですね。

 業務全体の改善の視点からは、RPAが弊社の業務課題と相性が良いと考えています。人間による手続き業務などはまだまだ多く、手間がかかり間違いもあります。これをRPAによって効率化することで生産性向上の伸びしろがあると考えています。

 個人的な活動ですが、弊社内で実施されるデータ分析コンペの「SIGNATE」に挑戦しており、こちらでも結果を出したいと考えています。さらにデータ分析の基礎となる数学や統計などアカデミックな分野も勉強したいので、今後そうした講座も受講してスキルアップにつなげたいと思っています。

左からNABLASの佐野まふゆ氏、ポーラ・オルビスホールディングス 足立浩之氏、筆者(中央)、ポーラ 上田涼太氏、ポーラ・オルビスホールディングス 吉村隆一郎氏

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