同じ「脆弱性通知」でも経営と事業、セキュリティの三者が受け取る意味は全く異なる。なぜ同じ事実を前にして、部門ごとに認識や対応がずれてしまうのか。意思決定をゆがめる“無意識のバイアス”をどう乗り越えるか――構造から整理してみよう。
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早速ですが想像してみてください。ある日、情報システム部門から「全社導入しているメールシステムに深刻な脆弱(ぜいじゃく)性があり、外部からの侵入が確認されました。不審な電子メールに注意してください」というアラートが社内に通達されました。
ここで考えてほしいのは、この連絡を受けて何を感じるかは社内の立場によって異なるということです。ある人は「これが止まったら売り上げや業務にどれだけ穴があくか」を最初に考え、別の人は「明日以降の業務が回るかどうか」を考え、さらに別の人は「この脆弱性を起点にどの攻撃が侵攻するか」などの考えが脳裏に浮かぶかもしれません。
では「脆弱性」という同じ事実を見ているにもかかわらず、引き起こされる認知が部門ごとに異なるのはなぜでしょうか。今回は、部門間の摩擦やすれ違いの原因にもなっている認知のズレを掘り下げていきます。
セキュリティ組織の構築、プロジェクト推進、SOC業務など、戦略的視点から技術的な実行まで幅広く手掛けるITシステムコンサルタント。通信、インターネットサービス、医療、メディアなど多様な業界での経験を生かし、業界特有の課題にも対応。クライアントのニーズに応じた柔軟なソリューションを提供し、セキュリティと業務効率の両立を実現するためのプロアクティブなアプローチを重視している。また、講演や執筆活動にも積極的に取り組み、専門知識や実務経験を生かして幅広い層にセキュリティやITシステムに関する知見を共有している。
電子メールを受け取った各部門は業務影響や被害範囲、パッチ適用の検討など“見えているもの”を手掛かりに思考を始めます。何に注目するかは各部門の役割によっておのずと変わってきます。
一方で“見えていないもの”があることも事実です。「部門内の暗黙のルール」や「他部門の判断基準」などは、初動段階では共有されにくいものです。こうした見えていないものが共有されないまま議論が進んでしまうと、互いの前提や考え方がずれたままになり、それがすれ違いや誤解の原因になります。部門間の摩擦の多くは、まさにこのような認識のギャップが埋められないまま進むコミュニケーションから生まれています。
部門間の調整の場で発生しやすい認知バイアスとしては以下のものがあります。
| 名称 | 解説 | 各部門が陥りやすい状況例 |
|---|---|---|
| 知識の呪い(Curse of Knowledge) | 専門部門は自分が持っている前提・技術知見を無意識に共有前提と見なして説明してしまい、他部門がその前提を理解できていないまま議論が進む | セキュリティ部門が「多要素認証(MFA)を導入すれば、不正アクセスのリスクは大きく下がります」と説明したものの、事業部門には「MFAがなぜ必要なのか」「今のパスワード運用と何が違うのか」といった前提が共有されておらず、納得感が得られない |
| 共有情報バイアス(Shared Information Bias) | 会議で共有される情報は「皆が知っていること」が中心となり、ある部門だけが持つ重要な前提情報や暗黙知が議論に上らない | 事業部門が日常業務の暗黙のルールや前提(例:夜間の電子メール処理、緊急連絡回路)が議題に上らず、セキュリティからの要請が理解されにくくなる |
| 透明性の錯覚(Illusion of Transparency) | 自分の意図や考えが他部門に自然に伝わるだろう、分かってもらえるだろう、と錯覚してしまう | 情報システム部門が重要だと思って発したアラートも、事業部門からすると内容の背景や意図が十分に理解できず、疑問点があっても質問しにくいまま、誤解を抱えた対応につながってしまう |
| 情報サイロ/階層バイアス | 部門間や階層間で情報が閉じられ、必要な前提や背景が共有されにくくなる | 経営部門はネットワーク構成や認証方式などの技術的な制約を把握しにくくセキュリティ部門から提示された案をコスト面を中心に評価しがちになる。その結果、実行時の難易度や現場への負荷が見落とされることがある |
これらのバイアスは単独ではなく重なり合い、認知のズレを拡大させて議論の幅を狭めてしまいます。特に経営層は、業務影響やコストなど「目に見える損失」に強く意識が向きやすい傾向があります。このようなバイアスに対しては、セキュリティ部門が「電子メールのなりすましで取引先に誤送信が起きた場合の信頼失墜」や「情報漏えいによる賠償リスク、監督官庁からの指導や処分」といった「見えない損失」を可視化して伝えることが効果的です。行動しない場合の損失に重点を置くことで、判断の軸が自然と変わります。
事業部門では「今やらなくてはいけない業務が目の前にあるし、自分たちの業務には関係ないだろう」といった確証バイアスが働きやすく、リスクの深刻さが伝わらないことがあります。このような場面では、「実際に社内で見つかった不審な電子メールはこちらです。メールボックスのご確認をお願いします」など“自分たちで考え、行動してもらう”を残した問いかけが効果的です。
このように具体的な影響を一緒に想像してもらう形を取ることで、事業部門の当事者意識が高まり、確証バイアスの壁を少しずつ崩せるでしょう。
こうした設計を取り入れることで、情報システム部門(セキュリティ部門)と事業部門、経営層という3者の目線をそろえられます。経営は数値視点で、事業部門はオペレーション視点で、セキュリティはリスク視点で同じ問いを、同じ盤面に並べて比較・議論できるようになります。
これにより「自分の見えている情報だけが正しい」と無意識に思い込みやすい確証バイアスや「今のままでいいのでは」と判断を引き伸ばしてしまう現状維持バイアスなど、意思決定をゆがめる要因に対して、有効な“枠組み”として機能します。
結果として、議論の焦点は「誰の意見が正しいか」という対立から「どの順番で何を決め、いつまでに何を受け入れるか」へと自然に軸が移っていきます。バイアスに流されない冷静な意思決定を保つには、個々の意識よりも、こうした仕組みの工夫が効果的なのです。
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