DX推進の停滞は、技術力ではなく「人」と「制度」の構造的課題に起因します。IPAが発表した「DX動向2025」で指摘されている人材不足の裏には、30年前から変わらぬ人事制度、そしてDX人材を孤立させる「お手並み拝見現象」が存在します。DX動向2025の指摘と、筆者がDX支援の現場で見てきた実例を重ね、日本企業のDX推進の課題を明らかにします。
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DX推進、生成AI技術の進化が加速する今、企業のIT部門は戦略的な役割への変化が求められ、キャリアの転換点に立たされています。この現状を変え、真に企業価値を高める部門となるには新たな戦略が必要です。
本連載では、博士としてインターネット技術を研究し、情シス部長、SRE、エンジニアマネジャーとしてIT組織の最前線を知る久松剛氏が、ニュースの裏事情や真の意図を分析します。一見関係ないニュースもIT部門目線の切り口で深掘りし、IT部門の地位向上とキャリア形成に直結する具体策を提示します。
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DX推進の停滞は、一見すると技術力不足に起因するように見えます。しかし、その根本的な原因は、技術ではなく「人」と「制度」における構造的な課題に存在します。
実際、IPAが公開した「DX動向2025」では、DX人材について「量も質も不足している」と強い危機感が示されています。長らくDX推進の支援に関わってきた私の実感は、この指摘が妥当であるどころか、実態はそれ以上に深刻だというものです。
多くの企業が「DXを進めたい」と口にしますが、人材の採用や育成、定着の仕組みは30年前からほとんど変わっていません。本稿では、DX動向2025の指摘と、私がDX支援の現場で見てきた実例を重ね合わせ、日本企業のDX人材課題がどこにあるのかを立体的に浮かび上がらせます。
DX動向2025では、DXを推進する上で必要な人材が量的にも質的にも不足していることが指摘されています。ここでは特に重要な3つの課題を取り上げます。
DX推進を担当する人材のスキルセットが明確に定義されていない企業が多い状況です。役割や期待値、専門性が曖昧(あいまい)なままでは、採用や育成、評価がかみ合わず、人材確保は進みません。
最近のDX推進動向では、AI活用スキルを重視する傾向が強まっています。しかし、どのレベルのAI理解を求めるのかは企業ごとにバラつきがあり、ここも採用を難しくしています。データ分析やAIプロンプト活用、AIガバナンスなど、必要スキルが増えているにもかかわらず、職務定義だけが旧来のままという企業も多く見られます。
DX推進では外部知見の取り込みが欠かせませんが、日本企業は外部との連携が弱く、組織内にノウハウを蓄積しにくい状況が続いています。契約や権限分掌、情報統制の問題から、外部パートナーを十分に活用できない環境も少なくありません。
また、外部のDX人材やコンサルタントを「企業文化を知らない社外の人」として距離を置いてしまう企業もあります。これは外部の人材の心理的安全性の不足と結び付き、事業部門の対話がかみ合わなくなり、プロジェクトが止まる一因になっています。
DX人材の成果を評価するための制度設計が十分でありません。評価制度が従来のゼネラリストモデルから脱却できないことで、正しい処遇ができず、採用した人材を生かしきれません。
DX動向2025では「データ利活用」に必要なスキルが広がったものの、育成体系は依然として限定的だと指摘されています。実務に直結する教育やロールモデルが不足し、研修に投資しても成果につながらないという悪循環が起きています。
DX動向2025が示す課題は氷山の一角です。ここからは、私が企業支援の中で見てきた本質的な課題を紹介します。
初任給は30年間ほとんど変わらず、評価制度も年功序列とゼネラリストを前提としたままです。エンジニア経験者の市場価値は世界的に高騰していますが、日本企業の報酬制度は追い付いていません。
DX人材を採用したいと言いながら給与テーブルは30年前のままというケースも珍しくありません。事業部門としては「優秀な人が来ない」という感覚ですが、制度面がそもそもDX人材を呼べるものではないのです。
地方企業では中途採用が一般化しておらず、DX人材を市場から獲得するという前提が成立しません。
さらに、DX推進を担当するのがしばしば「元営業」「元総務」「元生産管理」といったゼネラリストであり、専門性が蓄積しないまま担当者がローテーションしていく状況も見られます。地域経済の構造が変わらない限り、DX人材の流動性も限定的なままです。
DX人材は即戦力であるほど採用スピードが重要になります。しかし、多くの企業では採用判断が遅く、選考基準も曖昧です。
例えば、DX人材の採用会議が「その人はうちの文化に合うのか?」といった議論で終わることがあります。これは、外部人材に対する心理的抵抗と、専門性よりも社内適応力を優先する日本的雇用観が根強く残っているためです。
DX人材を高い年収で採用すると「お手並み拝見現象」が起きがちです。役員クラスの嫉妬や縄張り意識が発動し、DX人材が孤立した状態でプロジェクトが始まります。
DX推進は社内の巻き込み力が成果を大きく左右する領域です。しかし、中途DX人材を孤立させる組織文化は、せっかく採用した人材を短期間で失う原因になります。
DXプロジェクトには継続性と専門性が不可欠ですが、日本企業のローテーション文化と完全に衝突します。
私は、DX担当者の異動によって、成功しかけたプロジェクトが消滅するケースを数多く見てきました。新たな担当者はゼロから関係構築を始めなければならず、組織内の政治力学もリセットされます。
私の経験上、DX推進が止まる典型パターンは次の3つです。
DX人材は技術の専門家であると同時に組織を動かす実務者でもあるため、制度や文化、社内政治の影響を強く受けるのです。
こういった構造的な問題が複合的に絡み合い、社内にDX推進の知見が蓄積しないため、多くの企業は外部依存に陥ります。
「外注費を下げたい」という相談を受けることもありますが、制度、文化を変えずに外注費だけ減らすことは不可能です。本気で取り組むなら、DX人材の評価制度と報酬レンジ、配置の自由度を組織ぐるみで変える必要があります。
DXを推進する上で必要なのは新たな技術の導入よりも、人事制度と組織文化の刷新だと感じます。私の見てきた限り、DX人材を活躍できない企業には次の傾向があります。
DX人材が不足しているのではなく、DX人材が働ける組織になっていない。これが、日本企業の最大の課題です。DX動向2025の裏側にある問題は、30年以上変わらない雇用制度や転職文化の未発達、評価軸の曖昧さ、オンボーディングの欠如、人事異動の慣習といった構造的課題です。
DXを成功させるためには、技術導入よりも先に人と制度を変える覚悟が必要です。経営層が覚悟を持てるかどうかが、DX推進の成否を決める最大の要因になると私は考えています。
そして情報システム部門ではジョブディスクリプションを明確化し、優先順位をつけることからはじめましょう。明確化することで、1〜2人では全てをカバーしきれなかったり、見合う人材が市場に存在しなかったりすることに気付くはずです。適宜外部リソースを使いつつ、DX推進ができるように備えましょう。
エンジニアリングマネージメントの社長兼「流しのEM」。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学で大学教員を目指した後、ワーキングプアを経て、ネットマーケティングで情シス部長を担当し上場を経験。その後レバレジーズで開発部長やレバテックの技術顧問を担当後、LIGでフィリピン・ベトナム開発拠点EMやPjM、エンジニア採用・組織改善コンサルなどを行う。
2022年にエンジニアリングマネージメントを設立し、スタートアップやベンチャー、老舗製造業でITエンジニア採用や研修、評価給与制度作成、ブランディングといった組織改善コンサルの他、セミナーなども開催する。
Twitter : @makaibito
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