優秀なスタッフを育てる職場環境とは何かがおかしいIT化の進め方(6)(1/3 ページ)

5月も半ばを過ぎ、新社会人として入社した方も、研修指導に当たっている方も、少しずつ新しい環境や人に慣れてきただろう。そこで今回は、優秀なITスタッフを育成できる職場環境について考えてみたい。いまよりさらに飛躍できる“プロ”を目指す新入社員、既存社員にエールを送る。

» 2004年05月14日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

 ベンダやコンサルタントが発するメッセージにまどわされる経営者、情報システム担当者は依然として多い。だが企業にとって本当に大切なのは、「どこかに存在するはずのオールマイティな回答」ではなく、「自社の問題点を突き詰め、その解決策を考え抜いていく」行動力にあるのではないだろうか。

 このような観点を踏まえ、今回から2回にわたって「人材」の育成問題を考えてみたいと思う。“人”は企業の将来に最も重要な要素であり、問題の解決の鍵を担うからだ。

厳しく忙しい環境は若手育成のチャンス

  この10年、多くの企業で情報システム部門のスリム化が進んだ。少数になればますます精鋭化が求められるため、人の育成に真剣にならないといけないはずだ。だが結果的には必ずしもそうはなっていないようである。

 忙しいため手が回らない。人が育たないから問題解決が遅れ、新たな問題が発生する。このため、さらに忙しくなる……という悪循環に陥っていないだろうか。

 さらに、実務面で長年蓄積してきたノウハウの世代継承がうまくなされないまま、旧世代が会社を去る時期に来ている。機械や技術が変わっても普遍的なことは数多くある。セミナーや研究会などで参加者の話を聞いていると、問題や問題の原因が的確にとらえられていないように感じることが多い。

 例えば「プロジェクトマネジメントに苦労している」という人は多い。しかし少し詳しく話を聞いてみると、マネジメントの問題だと思い込んでいる問題は、実は

  • 自分が業務プロセスのとらえ方を分かっていないために、ユーザーのシステム仕様がまとまらない
  • 概念設計の考え方やシステムの全体構成の組み立て方を知らないから、品質が良くならない
  • 開発方法論を持っていないので、開発作業が順調に進まない
  • ユーザーと意思疎通できる言葉を知らないために、関係者の協力が得られない

 など、プロジェクトマネジメント以前の問題であったりする。上記のようなことを学ぶ機会が減ってしまったのか、「自分の知らないところに、洗練された方法がある」と錯覚している。問題を具体化・ブレークダウンしないといけないときに、逆に抽象的にしてしまうと本当の問題が見えなくなり、解決の手立てがつかめなくなる。

 こうした状況の中、社員教育に手の回らない企業では、能力向上・維持の社員個人の自己責任論が出てくる。しかし、これは「自分から努力する人を支援しましょう」「やる気のない人にまで手を差し伸べる余力はありません」というのが筋だと思う。

 自己責任論は、組織が果たすべき責任を個人に転嫁するものだ。これは結果的に、組織自らの首を絞めることになる。自己責任だけで能力を高めていける人は、世の中の一握りにも満たない。人の流動化を背景に「人材は、必要なときに外部に求めればよい」と主張する人もいるが、自分のところは何もしないで、「他社で育てた優秀な人材を調達・活用できる」と考えるのは、ちょっと虫がよすぎる話ではないだろうか。

 優秀なプロフェッショナルほど、自分の能力を大切にする。自分の能力を高めることのできない仕事や職場には興味を示さない。個人の能力を大切にし、向上させていくという職場文化は、長い期間の実践を通じて組織に定着していく。こんな素地が職場になければ、苦労して獲得した優秀なプロフェッショナルも、能力を十分発揮しないまま不満を残して去っていくだろう。

 上司と部下が共に向上心を持つことができれば、厳しい忙しい環境は、能力向上・育成の絶好の機会でもある。“厳しい事業環境”は能力向上のための格好の学習対象だし、“忙しさ”はレベルアップに必須の集中力を要求している。

 今後、環境や業務を「人材育成の場・教育プロセス」ととらえている企業と、忙しくてそれどころではないとして放置した企業での2極分化が進むだろう。すでに育成のノウハウやプロセスを失いかけているように感じられるところも存在する。知識を覚えるだけならいろいろな方法はあるが、実戦力の育成には“場”の設定とOJT(On the Job Training)は欠かせない。そして人材育成に当たっては、既存社員1人1人が「プロフェッショナル」として、問題点を理解し解決していく姿勢が重要になる。

column:慌てるな! よく考えよう(1)

 「小人の学は耳より入りて口に出づ。口耳の間、則(すなわ)ち四寸のみ」(編集局注:小人の学は、耳から入ったものが口から出てしまう。口と耳の間は、たったの四寸に過ぎない)。

 孔子・孟子を継ぐ中国、戦国時代末期(250 B.C.ごろ)の儒学者・荀子の言葉である。耳から入ったものがそのまま口から出る??受け売りの言葉にはどれほどの真実があろう。ITバブル時代にはやった「アメリカでは……」という説明逃れはさすがに影を潜めたが、それでもコンサルタントやITベンダなど売り手側から発信される“革新的”と称する技術・手法やキーワードは絶えない。

 これらの“受け売り”情報が駆け巡って世の中の風潮を作り、これも誰かによって作られた“ドッグイヤー”“スピード経営”などとはやし立てられる中で、ユーザー企業のIT担当者は「新しいことが耳に入れば、すぐ動かないといけない」といった観念にとらわれてはいなかっただろうか。

 「何かしないといけない、しかしよく分からない、動けない」との思いは焦燥感やストレスとなる。これが「持てる力を十分発揮できず、真にやるべきことが十分にできず問題を残してしまう、もっと良い解決方法があるのではないかと世の風潮が気になる」という悪循環に自らを追い込むことになる。

 こんな悪循環から抜け出す昔からの知恵は、「慌てるな! よく考えよう」だ。本当に必要なことは限られている。重要なことは単純である。

 「小人の学」の前の文章に「君子の学は、耳より入りて心につき、四体にしみて動静(どうじょう)に形(あらわ)る」とある。いま、われわれに必要なのはこの「君子の学」であろう。鍵は本質の把握、基本の理解・修得である。



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