JR脱線事故からマネジメントを学ぶ何かがおかしいIT化の進め方(20)(2/4 ページ)

» 2005年09月13日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

問題が起こるまで問題があることに気付かないのが人の常

 1980年代に国鉄の民営化によって誕生したJR西日本は、大阪・神戸・京都・奈良・和歌山・宝塚など、関西拠点都市を結ぶ主要路線で、阪急・阪神・京阪・近鉄・南海の大手私鉄との熾烈な競争にさらされてきた。拠点駅の多くは、街の中心部で競争相手と隣り合わせに位置し、拠点駅間には競合私鉄の線路が平行して走っている。大きな面の広がりを持つ関東平野とは異なり、地形上から線の展開で発展してきた関西圏の特性の影響である。

 このような状況下で、JR西日本は、新駅の設置、競合線の拠点駅より先の駅からの大阪行き直通列車、スピード、乗換駅での接続など顧客サービスアップを戦略にして、多くの私鉄の低迷をよそに業績を伸ばしてきた。安全性への投資もそれなりにしてきていた(少なくとも、JR西日本自身はそのつもりであったであろう)。「もうけることを考えろ」とはいっても、「安全性はどうでもよいから」といっていたわけではないはずだ。事業としては表面的には成功してきた。「いままで採ってきた考え方でよい。これを続けよう」ということになっていたのであろう。しかし、現実には表面的な成功の裏で、無理やゆがみがたまり、1つのきっかけでゆがみが噴出し大事故を起こしてしまった。

 人間は健康なときには自分の臓器の存在を意識しない。ストレスが度を越えて痛みだして、初めて胃の存在を意識し、緊張や恐怖に出合って心拍数が上がることで、初めて心臓に気付く。相当無理を続けていても、症状が出るまでたまっているストレスの量に気が付かないものだ。体力を落としていても、病気になるまでダイエットをやめない人がいる。長年続けていると、それが習慣・常識になり、その問題に対して思考停止状態になっている。組織も同じである。問題が起こって初めて、そこに考えるべき課題や選択肢があったことに気付く。「自分のことは自分が一番知っている」というのは、必ずしも正しくない。焼き肉屋から出てきた人は、焼き肉のにおいで他人にはすぐ分かるが、当人はにおいを感じることが難しい。自分のにおいにはなかなか気が付かないものなのだ。うまくやっていると思うときにこそ、健康診断が必要である。

 これはIT分野にも当てはまる話だ。例えば、目先の仕事にかまけて人の育成を怠ってきてはいないだろうか。良かれと思って一生懸命続けてきたことが、結果的に大変なお荷物になっていたことがいままでになかっただろうか。気持ちのうえで難しいことだが、物事がうまくいっているときなら、戦略変更や人の交代は少ない損失や犠牲でできる。以前、「成功の秘訣は成功するまであきらめずに続けたから」といった話がはやったことがある。時代の変化速度は速くなったが、“人の考え”はなかなか変わらないものだ。戦略にも人事にも出処進退が大切になる。「失敗の原因は、失敗するまで止めなかった/やめなかったから」といったことにならないように考えないといけない時代だ。安易な前例踏襲や、経験者への丸投げは危ない。

マネジメントのポイントはトレード・オフ問題の処理

 新しい事業に進出するか否かといった経営トップの問題も、業務多忙の中で人材育成にどれだけ時間を充てるかというIT部門の問題も、1プロジェクトの中での技術選択も、マネジメントの多くの問題はトレード・オフの問題である。

 多くの意思決定の問題は、二律背反する複数の要素のバランスを取り、最適な行動を決めていくことにほかならない。現実には、すべてを理論的に解明できる問題はほとんどないから、最終的には意思決定者の“感”や“勘”に依存する部分が多分に残る。また、このプロセスでは、例えば従業員のやる気や企業への信用度といった、量的に表現できない要素や、尺度や次元の異なる多数の要素への影響を総合的に判断する必要に迫られる。多数の要素の中から考えるべきものを選び出し、直面している問題の本質を見抜き、どのような問題ととらえるかという見識や、判断基準をどこに求めるかという哲学や倫理観が結論を左右する。

 こんな能力を身に付けていくためには、量に追われる仕事だけの毎日、技術知識とハウツーを知るだけの勉強では、心もとない。広く多くの人の話を聞き、書物を読み、何より自ら突っ込んで考える習慣が大切だと思う。知ることに使うエネルギーを、考えることに回せば物事の本質が見えてくる。自分の考えに自信を持てば、周囲に振り回されることも少なくなる。「いまはそんな余裕がない」と思う人が多いと思うが、では、いまのままでいつになったら余裕ができるのだろうか。悪循環を断ち切るには、いまある何かを捨てるしかない。逆境は自分を見つめ直し、新しい自分をつくるチャンスになる。

 今回の事故のケース問題に戻ろう。利益と安全性は、短期的にはトレード・オフの問題である。このバランスを崩した背景には、何が考えられるだろうか。民営化・新会社発足以来、“利益”は経営陣のミッションとして強く意識されてきた問題だったと思う。一方で、“安全性”はその重要性は観念としては理解できていても、具体的には人や技術、日常運営といった現場側のウエイトが大きい問題である。現場の実態と利益問題を比較した場合、経営陣の認識・理解として現場の実態というものは、直接的に感じ取れる身近なものではなかったのかもしれない。ITの問題で“技術”と“業務や人”とのバランスは取れているだろうか。

 トレード・オフを構成する要素の一方への思い入れが深く、これに比べ他方の理解が必ずしも具体的でない場合、よほど意識していない限り、決定のてんびんは思い入れ側にバランスを崩すことになる。バランスの取れた決定には、関連する問題について同じ程度の関心と同じ程度の理解(同じ程度に理解していないこと)が大切だ。マネージャにとって、自己の関与する課題に対して、知識のバランスと関心のバランスを保つ冷静さが欠かせない。

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