JR脱線事故からマネジメントを学ぶ何かがおかしいIT化の進め方(20)(3/4 ページ)

» 2005年09月13日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]

1対であるべき問題が別問題になる怖さ

 本来は正しい意思決定を支援すべき立場にある経営スタッフも、宮仕えの身である。現実問題として、遠い現場の知らない人より、意識・無意識のうちに自分のボスの意向を気にしながら仕事をしていることが多い。

 上から「もう1分、時間短縮できないか」といわれれば、よほど現場に精通し、なおかつ気概のある人でない限り、「これ以上は危険です」とはなかなかいえない。「何とか現場を説得してみます」となっていたのかもしれない。この話が現場へ伝わるときには、相談というよりも、権限のある本社からの指示のように伝わり、現場は半ばあきらめて、無理は承知で従っていたのかもしれない。「やればできるじゃないか」と時間短縮を求めた上の人は自分のアイデアに自信を持つ、こんな繰り返しがいつしかトップと本社スタッフを裸の王様とその取り巻きにし、本来は1対の問題として扱われるべき“利益”と“安全性”を、実質的には別々の問題として扱うようなことにしていた可能性はないだろうか。自分の周りでこれと同じようなことになっている問題はないだろうか。

 安全性を担当する部署はある。専門部署を設けるというのは、一般的には会社としてその問題に力を入れている場合に取られる形だ。独立した問題として、その部署中心で進められるなら問題は少ない。しかし、安全性の問題は社内のほかの部署が進める増収や効率化やコストダウンなど多くの課題を串刺しにしてバランスを取り、調整を図らないといけない問題である。専門組織を作ればそれで問題解決、というわけにはなかなかいかない。

 この組織の責任・権限はどのようなものにすべきだろうか。責任・権限が小さ過ぎれば、この組織は機能しない。各部署はこの組織を相手にせず、安全性を置き去りにして事業施策を進めてしまう。逆に権限が大き過ぎると、結果的にほかの事業の邪魔をする。安全性が独り歩きを始め、過剰な投資で限られた資源がほかの施策に回らなくしたり、石橋をたたいて事業施策の実施の足を引っ張ったりする。安全性は事業の大前提であっても目的ではないのだが、この関係が逆転したような発想が出てくる。極端なことをいえば、事故を起こさないことが企業目的なら電車を走らさなければよいのだ。こんな発想になりかねない。

ポイントは、「事故が起きれば、その責任はどの部署が負うのか?」を最初に明確にすることだと思う。これを基に各部署の権限・責任を、それらのバランスが取れた形に問題項目ごとに設定することである。これがあいまいであったり、責任部署は安全性担当部門というのでは、問題解決は程遠い。安全性はそれぞれの部署の責任であり、各部署が自部門の施策を安全性を損なわないで進められるように、安全性部署の専門能力を活用する体制になれば、われわれも安心して乗り物に乗れる。最初にここをキチっとしておかないであいまいなままでは、成果と権限を奪い合い、責任は押し付け合う、どうしようもない体制になってしまう。

 IT関連の問題なら、例えばセキュリティ問題の組織はうまく機能しているだろうか。標準化を進める体制はどうすればうまくいくだろうか。1つのプロジェクトの中でも全体を串刺しにして共通化すべき問題がある。プロマネはそのための体制をどう設定し運営すべきだろう。会社の中でIT化という問題そのものが同じ性格を持っている。「投資の成果が出なければ、誰の責任か?」という問題は避けて通れない。全体をうまく進めるために、IT部門は何に、どのような責任と権限を持てばよいのだろうか。

コーヒーブレーク

 外資系ITベンダに、大変仕事熱心な法務部門があった。何が起こっても法律的に自社がいささかの不利益をも被らないような契約書を作り、頑として妥協しない。法律の勉強としては大いに参考にさせてもらったが、そのような内容ではユーザー側としては困る。

 法律的問題を絶対起こさないという、この法務部門のミッションを全面的に満たすには、「契約をしない」という選択しかない場合が何度かあった。間に立った担当営業が気の毒だった。このベンダ企業にとっては、注文を適切な契約条件で取ることが目的のはずなのだが、プロ集団である法務部門は商売のことは考えていなかったようだ。



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