「初めまして、秋田です。いままで7年ほどシステム開発の仕事をしてきましたが、常々自分が開発にかかわったシステムが実際にお客さまのビジネスにどう役立っているのかをきちんと知りたいと思ってきました。今回はシステム開発を始める前の上流コンサルティング案件に参加できるので、とても張り切っています。ぜひよろしくお願いします」
このプロジェクトに参画することになった秋田くんと私、およびほかのメンバーは、プロジェクト開始の1週間前に事前打ち合わせを行った。めいめい自己紹介を行い、PMである私からプロジェクト計画と各自の担当について説明を行った。
「秋田くんには、前半フェイズでは社長インタビューを担当してもらう予定です。社長インタビューでは、お客さまの社長から今回の事業の目標値や方向性を確認することが目的です」
私がそう話すと、彼はちょっと不安げな顔をした。
「いままでの経験では、自分が接したお客さまの中で一番偉い人は部長でした。社長と聞くと雲の上の人に思えるので緊張しますね」
「確かに社長ともなるとすごい人物は多いけど、むやみに緊張することはないわ。うちの会社の社長に初めて会ったときだって大丈夫だったでしょ?」
「社長に初めて会ったのはこの会社に転職したときの最終面接でしたけど、あのときも緊張しましたね。でも実際に話をしたら案外気さくな人だったので安心したことをよく覚えています。今回もせっかくの機会なので、頑張ってみます」
「それから後半フェイズではITコストの見積もりを担当してもらおうと思います。このコスト試算は事業性を判断するうえでとても重要な部分になるので、いままでの経験を生かしてしっかりやってくださいね。またこの段階での見積もりは、システム開発の見積もりとは違う部分があるんだけど、それについてはおいおい説明するわね」
「はい、よろしくご指導ください」
「社長インタビューの資料を見ていただけますでしょうか。いままでヒアリングをしてきたのは情報システム部の方ばかりだったので、少しずれているかもしれません」
プロジェクト開始から2日目に、秋田くんが自信なさそうな顔で相談に来た。
作成中のヒアリングシートを見ると、ITへの期待について確認する質問が並んでいた。そこで、社長の関心はビジネスの成功、すなわちビジネスで収益を上げることであり、ITはそのための1つの施策でしかないことを伝えた。秋田くんはシステム開発の経験が長いので、どうしてもシステムの要件や技術に関心が偏ってしまうようである。
「例えば、1つ目の質問に『アパレルASPは、どういったサービスレベル(ダウン時間、処理パフォーマンス)を目標としますか?』というのがあるけれども、サービスレベルの具体的な話は、情報システム部の担当者にお聞きしましょう。それよりも社長には、事業の収益目標などビジネス視点の質問に絞った方がいいんじゃないかな。例えば、『アパレルASP事業の収益目標について、短期的・長期的視点それぞれについてお聞かせください』みたいな質問はどう?」
「なるほど。もう一度考えてみます」
秋田くんは少し腑に落ちた顔をして帰って行った。
数日後、完成したシートを手に、私と秋田くんで社長インタビューを行うことになった。
「では、貴社における、親会社以外の売上比率について目標値をお聞かせください」
秋田くんは緊張して唐突に質問を切り出したので、社長は少し面食らったようだ。思わず質問を引き取って、私は話し出した。
「まずは、経営課題に関する項目からヒアリングさせていただきます。収益上、親会社以外の比率を向上させることが、御社の経営の方向性であると理解しておりますが、直近の目標値をお聞かせいただけますか」
その後、秋田くんは少し慌てながらも、続きの質問を開始した。1つずつ質問を終えるたびに、秋田くんの緊張もほぐれてきたようだ。彼の熱心なインタビューに引き込まれるように社長も熱の入った話をしてくださった。そして、最後にこのような一言をいただいた。
「弊社のビジネスの方向性が、よく分かっただろう。今回のプロジェクトの成果には期待しているので、よろしく頼みますよ」
「はい、よく分かりました。ありがとうございました」
秋田くんもうれしそうに答えた。
秋田くんの頑張りもあって、社長インタビューでは新事業の方向性について有益な情報を得ることができた。その後、中間報告会において前半フェイズの検討結果に対して経営陣から承認していただき、プロジェクトの前半フェイズは無事に終了した。
後半フェイズでは、秋田くんはITコストの見積もりを行い、検討会で説明を行った。
「IT投資としては、初年度のコストがおよそX億円で、2年度以降の運用コストは約Y千万円の規模になります」
秋田くんがそう説明したところで、それまで黙っていた事業部長が口を開いた。
「それはちょっとコストが掛かり過ぎだと思うね。当初の顧客数や取引規模を想定してもそれでは採算が取れない。遅くとも2年目には黒字化したい」
秋田くんが間髪を容れずに答えた。
「事業部長、しかし社長をはじめとする経営層や、現場の各部署の意見を取り入れたシステムを作ろうとすると、どうしてもそれだけの費用は必要になります。例えば〜」
懸命に反論しようとする秋田くんを遮って、私は次のように述べた。
「それでは、インフラ構成やアプリケーション機能は最小限に抑え、顧客数の増大に合わせて随時拡張する方式を前提にコストを再度試算してみます。5年間のトータル投資コストはさほど変わらないかもしれませんが、黒字化する時期を早められるでしょう。また、事業性を損なわない現実的な機能削減案についても次回の検討会までに案をお持ちしたいと思います」
帰社後、秋田くんが私に話し掛けてきた。
「今回の見積もりでは、前半フェイズで定義したビジネスモデルを実現するために必要なコスト総額を見積もればいいものと思っていましたが、私の考えは間違っていたのでしょうか」
「いや、決してそんなことはないわ。今日秋田くんに説明してもらったITコストの総額は有益な情報だったと思う。しかし必要だからといって、いくらでもITにコストを掛けていいわけではないの。今後の検討では、収益の面からITに掛けられるコストを見極めて、どの範囲でシステム化を行うべきか考えていかないといけないわね。もちろん、試算上の利益を確保するために妥当性のない小規模なITコストにするのでは全く意味がないから、技術的な難易度や実現を押さえつつ、現実的なラインに落としていくことが重要になるのよ」
「最初はITコストの総額を出しておいて、掛けられる予算を想定しながら、どこが削れるか考えていけばいいんですね」
「すべてをIT化するのではなく、ITで実現するとメリットが出やすい範囲をシステム化範囲として考えることも大切ね」
「分かりました」
その後、秋田くんには複数の機能削減案の作成と、それぞれについてのITコストの再見積もりを実施してもらった。検討会での議論の結果、その案の1つを事業部長に支持していただき、最終報告でも上層部の顧客の承認を得ることができた。その結果、今後この事業を本格的に推進することが決定した。
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