そのころ、情報システム部では八島らが必死にシステムの修正を行っていた。坂口がとりまとめた課題一覧表は、ユーザーのわがままだけでなくシステムとして直すべき点がいくつか指摘されていた。
特に、画面レスポンスや操作性などはやむを得ないと置き去りにしていた点であり、痛いところを突かれた八島は、その点だけでも修正してやろうと24時間体制で取り組んでいたのだ。
開発チーム単位で見れば、仕事量に波があり、チームによっては多少の休息も取れていたのだが、全体を見ている八島には休む暇はなかった。もう何日も帰っていないらしく、クリーニングのタグが付いたワイシャツがいくつも置いてあった。リフレッシュ用にある簡易シャワー室で気分転換し、ソファで仮眠をとる毎日が続いている。その八島の席の近くにある打ち合わせコーナーで、小田切と谷橋が打ち合わせをしていた。
小田切 「ちきしょう、後少し完成が延ばせればなぁ……」
谷橋 「しょうがない、あそこまでマスコミに書かれた以上、後には引けないさ」
八島 「そこ、無駄口たたかない。とっとと進める!」
八島は画面に向かったまま、2人に声を掛ける。いつもの余裕はすっかりなくなっていた。2人にもすでにかなりの無理をしてもらっているのは八島には分かっている。ねぎらいの言葉でもかけたいのだが、うまい冗談すら浮かばない。
昔ほど無理は利かねえなぁと思いながら、八島は各チームからの報告や相談をさばいていた。とはいえ、2人はキーパーソンである。一言声を掛けようと立ち上がった瞬間、暗闇が八島を襲った。缶コーヒーを持ったまま気を失い、ひざから崩れ落ちるようにバッタリとその場に倒れてしまった。残ったコーヒーが八島の手元から床に飛び散った。
小田切 「八島さん! 大丈夫ですか!!」
谷橋 「おい、救急車! 大至急だ!」
八島は遠くなる意識の中でも2人に掛ける言葉を探し続けていた。
八島が倒れたとの一報を聞いた坂口はすぐさま、名間瀬とともに病院に駆け付けた。幸い命や脳には別状はないが、2週間程度は安静にしなくてはいけないとのことを担当の医師にいわれ、ショックを受ける坂口だった。
自分の監督不足を痛感し、悲痛な面持ちで病室の扉を開けた。そこには、やつれて疲れ切った八島の寝姿があった。昏睡しているようにも見える。
坂口 「八島さん、すいません! 俺がしっかりコントロールできていないばっかりに……」
名間瀬 「室長。自分を責めても仕方ありませんよ。確かに課題管理表のまとめ方には問題はあったかもしれませんが、八島主任はその内容がユーザーのわがままかシステムの改善点なのかは分かっていました。でも、せっかく自分たちで作るのだから、妥協はしたくない。その思いが八島主任をここまで動かしていたのだと思います」
坂口 「それでも、まだできたことはあったはずです」
豊若 「それは後悔であって反省ではない」
坂口 「豊若さん……」
豊若も八島のために駆け付けてくれたのだ。果物かごをベッドの横に置くと、八島がうわ言をしゃべり始めた。3人は八島のベッドを囲むように集まった。
八島 「坂口、任せろ〜。納期は大丈夫だからなぁ〜〜。お前の熱意には必ず応えてやるからなぁ〜」
八島は「大丈夫、任せろ」と何回か繰り返すと、また寝息をたてて眠りについた。
3人は八島に一礼すると病室を出た。坂口の目には熱いものが込み上げていた。
そして病院のロビーの待合室に腰掛けると豊若が話し始めた。
豊若 「坂口、さっきの続きだが……」
坂口 「豊若さん、すいません。分かりました。過ぎたことをいってもしょうがないですね。そうではなくて、先のことを考えることが上に立つ者として大事なんですね」
豊若 「その通りだ。八島主任の頑張りを無駄にしないことが何より大切だ。反省も大切だが、いまはその時期ではない」
坂口 「はい。ただ、ちょっと今日は時間を下さい。ショックで自分がコントロールできていません」
豊若 「分かった。明日、事後対策について打ち合わせしよう」
名間瀬 「分かりました。関係者を集めておきます。10時に打ち合わせをしましょう」
坂口 「よろしくお願いします。すみませんがこれで失礼します」
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