心をわずらった人への正しい対応方法は?読めば分かるコンプライアンス(17)(4/5 ページ)

» 2009年04月07日 12時00分 公開
[鈴木 瑞穂,@IT]

とにかく傾聴してあげることが大事

岡本 「なるほど。状況はよく分かりました。お話を聞く限りでは、堺さんはうつ病になりかけているのかもしれませんね」

ALT 岡本 聡

 大塚からいままでの経緯と堺に対する大塚や本庄たちの観察を聞き取った後、岡本課長は少し考えながら話し始めた。

大塚 「うつ病……。ですか?」

岡本 「ええ。髪の毛やひげなどの身だしなみに無頓着になったり、冗談をいって人を笑わせていたのが無口になったり、自分で下した決定や部下に与えた指示の内容を忘れたり、取り組まなければいけない案件から逃げて先送りしたりといった行動は、うつ病の可能性を示しているように思います。でも、私は精神科の医者じゃありませんから、診断はできませんけど」

大塚 「じゃあ、堺は精神科に診せなければいけませんか?」

岡本 「まだ、いきなり精神科という段階ではないと思いますよ。人間には、自前の治癒能力というものがあります。堺さんの場合も、まずは堺さん自身の治癒力を引き出すことが大事です。そのためには、上司とかの身近な人が堺さんの話をじっくり聞いてやるといいと思いますけど」

大塚 「さっきもいったように、昨年の12月に、堺と1度話し合っているんですけどね」

岡本 「ああ、堺さんを励ましてやったというあの面談のことですか」

大塚 「ええ」

岡本 「それは……。もしかしたら、逆効果だったのかもしれませんね」

大塚 「えっ? 逆効果!? でも、私は励ましただけですよ!」

岡本 「励ましも、ときには逆効果になるんです。例えば……。そう、野球選手を想像してください。チームの中で落ち込んでいる選手がいるとします。その選手は、もっとうまくなってレギュラーになりたいと思っているけど、技術的に壁にぶち当たって伸び悩んでいるとします。そういう選手には、叱咤激励も効果があります。その選手には、野球がうまくなりたい、レギュラーになりたいという積極的な気持ちがあるけれど、技術的な壁に当たってその気持ちが折れかかっている。叱咤激励はその折れかかった気持ちを奮い立たせてくれます。ところが、野球を続けるのが嫌になったり、野球を続けることに意味が見い出せなくなって落ち込んでたりする選手がいるとします。そういう選手には、いくら叱咤激励しても、効果はありませんよね。だって、野球に対してやる気をなくしているんですから。周りから激励されると、それが負担になって、かえって落ち込んでしまいます。堺さんの場合、やる気をなくした野球選手になっている可能性があるように思いますね」

大塚 「つまり、いまの仕事に対してやる気をなくしているってことですか」

岡本 「その可能性もあるということです」

大塚 「もしそうだった場合、叱咤激励がだめだとすると、どうすればいいんですか?」

岡本 「とにかく堺さんの話を聞いてやることです」

大塚 「話を聞いてやる……ねぇ。さっきもいいましたけど、先週の金曜日、短期休職をいい渡したときですが、彼にいったいどうしたんだと聞いたんですよ。でも彼は何も話そうとしなかったんです。話そうとしない人の話を聞いてやれといわれても、それは無理ですよね」

岡本 「大塚さん、そのときのあなたの聞き方はどんな風でしたか?」

大塚 「え? どんな風に……とは?」

岡本 「『聞く』という言葉には、いろんな漢字があります。訊問のように訊く。門構えの中で耳だけで聞く、耳と目と心を使って聴く。さて、どの聞き方だったでしょうか」

大塚 「さぁ、どんなだったかと聞かれても……」

岡本 「おそらく、訊問のように訊いたのではないでしょうか。というのも、私の経験からいうと、職場で上司が部下に何かを聞くとき、1番多いのがこのパターンなんですよ。どうしてそうしたんだ、なぜそういったんだ、どうして、なぜ、どうして、なぜ……。何らかの理由でメンタルバランスを崩している部下にとって、上司からこのようにいわれると、訊問されている気分になるんです。そうなると、部下としてはいいたいことがあってもいえなくなるんですね」

大塚 「でも、なぜそうなったか、どうしてそうなったかという理由が分からなければ、物事は解決できないでしょう?」

岡本 「何らかの理由でメンタルバランスを崩している人は、物事の解決を求めているんじゃないんです。問題はその人の心の中にあるんです。ただし、多くの場合、その人自身にも自分の心の動きを把握できてなくて、自分がなぜこんなに苦しんでいるのか、何がこんなにも自分を不安にするのか、自分はいったい何を恐れているのかといったことが分かっていないんです。そんな人に、なぜ、どうしてと訊いても、答えられるわけがありません。かえって苦しめるだけなんです」

大塚 「じゃあ、どうすればいいんでしょうか」

岡本 「とにかく、耳と目と心でその人の話を聴いてあげることです」

大塚 「そのぉ、比喩的にいわれても、分かるような、分からないような……。微妙なんですけど……」

岡本 「傾聴という言葉がありますでしょう。それなんです。人間、自分の心は分かっているつもりでも、意外と分かっていないもんなんですよ。他人に語ることで気付くことが非常に多い。だから、自分の心の問題に気付かせるためには、その人自身に自分の心を語らせることが必要なのです。語らせるためには、聴いてやらなければならない。これが傾聴なんです。つまり、傾聴とは、人の話を聴くことによってその人に語らせ、それによってその人自身に自分の心に気付かせてやることなんです」

大塚 「何だか、難しそうですね」

岡本 「確かに、本格的に傾聴を実践するには、自己一致とか受容、共感的理解などといった専門的知識や、それを身に付けるための訓練が必要です。でも、誰でもできる初歩的な傾聴もあるんです。職場で上司が部下の話を聴くときに、例え初歩的であっても、傾聴の姿勢で聴いてあげると、かなりの効果が期待できるんですよ」

大塚 「ほぉ、それはどんな姿勢なんですか?」

岡本 「ポイントは3つですね。まず、第一に自分の価値観を通さずに部下の話を聴いてあげることです。2点目は、部下の立場に立って部下の気持ちを共有するつもりで聴いてあげることです。そして最後は、とにかく何でも聴いてあげるから、思ったままを話していいんだということを伝えることです」

大塚 「それだけですか?」

岡本 「ええ。これだけです。これだけでも、職場の風通しはずいぶんと良くなるはずですよ。風通しを良くすることは、従業員のメンタルヘルスのケアとして、とても重要なことなんです。しかし、『自分の価値観を通さずに部下の話を聴く』ということが、実はものすごく難しいんですけどね」

大塚 「そうですかねぇ……」

岡本 「人間は、自分の実体験に拘束されるものなんです。私たち社会人は特にそうです。自分の体験を基に、自分なりの価値観を創りあげているものなんです。そして、物事を見聞きするときは、常に自分の価値観を基準にして何らかの判断を下しているんです。それは立派な行いだとか、そんな甘えた考えじゃだめだとか、まだまだ若いとか……。そうやって自分の価値観で判断してしまうと、部下の気持ちを共有することはできませんよね。すると、部下は話を聴いてもらえなかった、何をいっても無駄だ、と感じてしまうんです。すると、ますます自分の殻に閉じこもってしまいメンタルバランスは崩れたまま、下手をすれば余計に崩れてしまうかもしれません」

大塚 「相手がわけの分からないことをいったとしても、とにかく聴くということですか?」

岡本 「ええ、そうです。そもそもメンタルバランスを崩しているわけですから、わけの分からない話になるのは当然なんだと思いますよ。わけが分からないから聴くのを止めてしまったのでは、傾聴にはなりません」

大塚 「そういわれると、私は堺の話を傾聴してやったとはいえませんね……。明日に堺との面談があるんですけど、今日の明日で私が傾聴できるようになるとも思えないし、どうしたもんでしょうねぇ」

岡本 「そうですねぇ。いままでの大塚さんとの面談で堺さんが心を閉ざしてしまっている可能性もあるし……。どうでしょう、もしよかったら私が堺さんと面談しましょうか。私も堺さんも、お互い顔と名前は知ってるけど、いままで話したことはありません。その方がかえってニュートラルな状態で話せるかもしれません。それに、私も一応は産業カウンセラーの資格を取るときに傾聴の訓練は受けてますし……」

大塚 「そうですか。そうしてもらえると私も助かるし、堺にとってもよいことだと思います」

岡本 「分かりました。では、とにかく堺さんと話してみることにします。その結果はまた大塚さんに直接お伝えしますから」

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