あの“とんでも社員”を解雇させたい!読めば分かるコンプライアンス(19)(3/5 ページ)

» 2009年06月08日 12時00分 公開
[鈴木 瑞穂,@IT]

どうすれば問題社員をクビにできるのか

 神崎は大塚マネージャをオフィスの一番奥の会議室に呼び出して、中島係長からの電話の内容を伝えた。大塚は、神崎の報告を聞くなり、ほえた。

大塚 「何だとぉ! もう勘弁ならん! 柏木はクビだ、クビ!」

 神崎には大塚の感情抑制メーターの針がレッドゾーンまで振り切れたのが見えた。やはり、一番奥の会議室に呼び出したのは正解だった。大塚をなだめるのはもう不可能だろう。

 神崎自身も、柏木の言動によるシワ寄せがクライアントにまでおよぶようになってしまっては、柏木をチームに留めておく方がリスキーだと思っていた。ただ同時に、素朴なひっかかりもないではなかった。

神崎 「大塚さん、ことここに至っては僕も柏木を弁護するつもりはないですけど、でも、そんなに簡単にクビにできるもんですかね。何か、社員を解雇するのは法的に難しい、みたいな話を聞いたことがあるんですけど」

大塚 「そりゃあ、簡単なことじゃないだろう。でも、今回はワケが違う。あいつは職場の協調性ってものをまったく無視するやつだが、その影響がチーム内に止まっているうちならともかく、バグをクライアントのせいにするなんざぁ、プロとして言語道断だろう!」

神崎 「確かに、そりゃそうです」

大塚 「ウチのコンプライアンスマニュアルにも書いてあるだろう。第1条、クライアント第一主義に徹することって」

神崎 「ええ、確かに。でも、それに反したら解雇できるという定めはないわけで……」

大塚 「……。フム、まぁことが解雇だけに、確かに法的な検討は必要だろうな。よし、これから一緒に赤城さんの所へ行って相談しよう」

 大塚は法務部長の赤城雄介の内線番号をダイアルし、相談があるのでこれからそちらの部屋に行くということで了解を得て、神崎と連れ立って赤城の部屋に向かった。

そう簡単に社員は解雇できない

赤城 「どうした、2人とも。ずいぶんと鼻息が荒いじゃないか」

 大塚と神崎を迎え入れた赤城は、2人がかなり憤慨していることに少し驚いた。そして、大塚は勧められたいすに座るなり、まくしたてた。

大塚 「赤城さん、実はシニアSEを解雇しようと思っているんですが、法的に問題がないかどうかを相談にきたんです。というか、問題ないってことを確認しにきたんです!」

赤城 「解雇? そりゃ、穏やかじゃないね。いったい、どういうことだ?」

大塚 「実はですね……」

ALT 赤城 雄介
ALT 大塚 敏正

 大塚と神崎は、かわるがわる柏木の言動をつぶさに語り、その上司批判やスタッフの責任追及がいかに常軌を逸しているか、それによってどれだけ職場の作業環境が悪化し、業務の進ちょくを妨げているか、そしてついにはクライアントに迷惑をかける事態にまで至っている現状を説明した。

 赤城は大塚と神崎の話を注意深く聞き、しばらく考えた後でいった。

赤城 「なるほど。状況は分かった……。でも、いますぐ柏木君を解雇するのは、法的に無理だな」

 驚いたのは大塚と神崎である。多少は小難しいことをいわれるだろうとは思っていたが、無理だと断定されるとは思っていなかった。

 どうにも解せないという面持ちで神崎が食い下がった。

神崎 「赤城さん、法的に無理ってどういう意味ですか? 就業規則には懲戒理由ってのが定めてあって、それに該当したら懲戒処分されると定めてあるし、その懲戒処分の中には解雇もあるじゃないですか! てことは、会社は懲戒理由に該当する行為をした社員を解雇できるってことじゃないんですか?」

 神崎の隣で大塚も盛んにうなずいていた。興奮気味の2人を両手で制しながら、赤城はかんで含めるように説明し始めた。

赤城 「まず、法的に無理、という言葉の意味だけどね……。会社が社員を有効に解雇するためには2つのハードルを超えなければならない。第1のハードルは労基法20条で、会社は30日前の予告をしなければならないことになっている。これは、柏木君に30日前に解雇予告さえすればハードルはクリアできるわけだ。だけど、有効な解雇の条件はそれだけじゃない。第2のハードルが労働契約法16条で、解雇には客観的・合理的かつ社会通念上相当であるとされる理由が必要だとされている。社員を解雇しようとするときは、この労働契約法16条のハードルをクリアできるかどうかが大きな問題になるし、実際の裁判で争われるのも、ほとんどがこの『解雇理由の妥当性』の問題なんだよ」

神崎 「今回の場合、柏木の言動は、その妥当な解雇理由にならないということですか? 就業規則には、職場の秩序を乱すとか、会社の信用を著しく損なうとかの行為が懲戒理由として定められているし、柏木の行為はそれに該当すると思うし、妥当な解雇理由になるんじゃないかと思うんですけど……」

赤城 「確かに。会社は就業規則で懲戒理由を定めていて、その懲戒理由に該当する行為を行った社員を処分する権限を持っている。神崎君のいうように、今回の柏木君の行為が懲戒理由に該当するという判断にも無理はないと思うし、それが同時に労働契約法16条をクリアする解雇理由になるはずだと考える気持ちも理解できる。しかし、ここが1番重要なポイントなんだが、労働契約法16条のハードルをクリアするためには、会社側の人間が主観的に判断するだけではだめで、『誰が見てもそんな社員なら解雇されてもしょうがない』と納得してしまう客観的な証拠が必要なんだ。でも、いまの状況のままでは、必要な客観的証拠がそろっているとはいえないから、労働契約法16条のハードルはクリアできていないと考えざるを得ない。だから、いまの状況下での柏木君の解雇は、『有効要件が整わない解雇となって無効』とされる可能性が極めて高い。法的に無理というのはそういう意味なんだよ」

 憤まんやる方ないといった面持ちで、大塚が食い下がった。

大塚 「でも、柏木のやってることは、会社の生産性は阻害するし信用は落とすし、そりゃひどいもんですよ。会社は学校やボランティア団体じゃないんだから、会社の経営の一端を預かるマネージャとしては、そのような問題社員を置いておくわけにはいかないと思うんですがね!」

 今度は神崎がそうだそうだと2度3度強くうなずいた。赤城は辛抱強く穏やかに続けた。

赤城 「そのとおりだ。会社は学校でもなくボランティア団体でもない。営利集団だ。会社を経営するということは、利益を追求することだし、利益追求の阻害要因を取り除くことだ。しかし同時に、会社は法律を遵守することも義務付けられている。つまり、会社は法令遵守の枠の中で、利益追求をしなければならないということなんだ。法令を守らずに利益追求だけに走ると、結局は法令違反の責任を取らされる。法令に違反するような理由で社員を解雇したとなれば、法的責任を問われるだけじゃなく、すぐにコンプライアンス違反のレッテルを貼られることにもなる。いまのご時世、コンプラ違反のレッテルを貼られたら、会社としておしまいだよ。利益追求という本来の目的をかなえることができなくなる。これじゃあ本末転倒だろう」

大塚 「ええ、それは一般論としては分かりますけど……。でも、客観的な証拠といっても、いったいどうすればいいんですか? 問題になっているのは柏木の言葉や行動なんだから、証拠をそろえるなんて無理じゃないですか!」

赤城 「そうだな。横領事件のような場合には、伝票や帳簿みたいな物的証拠もあるだろうけど、問題社員の解雇の場合、そのような物的証拠は難しいだろう。裁判でも、問題社員の問題行動をいかに立証して裁判官に納得してもらうかが勝負どころになる。それで、裁判を通じて、問題行動の証拠の作り方が確立されている」

大塚 「証拠の作り方……ですか? それはまた……。どんな方法ですか?」

赤城 「まず、問題社員に対して、その問題行動を具体的に指摘する。そして、その改善方法があればそれを指導するなどして改善することを要求する。そして、改善されたかどうかを確認する。そして、これが一番大事な点だが、それらの事実を記録しておくことが必要だ。こうした記録を積み重ねて、問題社員の問題行動の具体的な内容と、その社員が問題行動を改善しなかったという事実を誰に対しても立証できるような状態になって、初めて、労働契約法16条のハードルをクリアすることができるんだ」

大塚 「……。何だか、すごく面倒ですねぇ」

赤城 「労務問題は軽々しく考えちゃいけない。労務問題への取り組み方をみれば、その会社がどれほどコンプライアンスを真剣に考えているか、どれほど法令遵守を尊重しているか、そして、どれだけ従業員を大切にしているかが分かるからね」

 大塚と神崎は、赤城の話を聞くうちに興奮がさめ、逆に神妙な面持ちになってきた。

 とはいっても、柏木は解雇すべきであるという考えに変わりはなかった。そこで、赤城を交えて、法的なハードルをクリアするための対処について話し合った。

 その結果、まず明日にでも大塚が柏木と話し合って、彼の問題行動を具体的に示し、その改善を求めることにした。

 具体的改善点としては、いたずらに部下を侮辱しないこと、建設的意見を伴わない感情的な上司批判は控えること、特にクライアントが同席する場での上司・会社批判は控えること、部下のミスに対しては、その回復を第一義とし、原因・責任追及などにより作業スケジュールに支障をきたさないこと、クライアントの質問・要請などに対しては迅速に対応すること、などを明確に言い渡すことにした。

 また、神崎は週1回か2回の割合で、東南電機の中島係長や現場のSEチームに電話でコンタクトして作業の進ちょく状況を確認していたが、今後は柏木の行動をモニタリングして記録するために、中島係長や現場のSEチームとも毎日コンタクトし、週2回は実際に現場に出向くことにした。また、毎日柏木に連絡を取り、その日の作業状況を報告させることにした。

 そして、少なくとも1カ月は柏木への注意と指導を繰り返し、その記録を綿密にとり、そのうえで解雇すべきかどうかを再度検討して、その時点でも解雇が妥当と思われるならば、あらためて人事部長に報告相談して決めることとした。

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