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» 2009年10月08日 12時00分 公開

何かがおかしいIT化の進め方(44):新型インフルエンザ対策に学ぶ組織の在り方 (2/4)

[公江義隆,@IT]

格段に不足している防戦力

 では、第1波のときの状況を振り返ってみよう。国や地方自治体の対応についても、いろいろな疑問と問題点が浮かび上がってくる。2009年4月28日、WHOが新型インフルエンザについて、警戒レベルをヒトからヒトへの小集団の感染が確認される「フェイズ4」に移行したと宣言した。これを受けて、国は行動計画に従い、その第1段階である「水際作戦」に入った。国内での感染の急拡大を避けるため、ウイルスの侵入を水際で阻止し、できるだけ侵入を遅らせるための検疫強化である。

 侵入を遅らせればそれだけ情報も集まり、対策の準備も進められる。また、集中的な侵入による爆発的感染発生を阻止できれば、医療機関も能力的に対応しやすい。さらに、検疫をすり抜けて国内で発症者が出た場合も想定し、各地方自治体に新たに「発熱相談センター」を、特定の医療機関には「発熱外来」と、全感染者を収容する入院病棟を設置し、ここでウイルスを封じ込めようという算段であった。

 しかし、国による検疫体制も、地方自治体による感染予防、治療の体制も、ウイルスの毒性は強くなかったにもかかわらず、国内の初感染者確認からほんの数日、感染者が2けたの段階で、キャパシティ不足でパンクした。

 国はこうした対応の不手際について、「行動計画(注2)の前提を、強毒性の『H5N1型』においていたが、今回は弱毒性であったためだ」とコメントしたが、そのために「具体的に、何がどうなったのか」についての説明はなく、メディアも同じ言葉をそのまま伝えるだけだった。


注2: 行動計画のベースとなった1918年のスペイン風邪では、全世界で5000万人、日本では48万人が死亡した(当時の世界人口15億、日本の人口は5500万人)。


 しかし、もし「強毒性」であったなら、相当悲惨なことになっていたことは間違いないし、分からない時点では最悪を想定して取り組むのが普通である。また、「毒性がそれほど強くない」と判断するためには、相当数の感染者の症状の調査結果が必要であり、一部の首長やメディアが批判する「騒ぎ過ぎ」はあくまで結果論である。問題は、状況に合わせて迅速に対応を修正してゆく柔軟性が、行政組織に欠けていたことであろう。以下では、その過程を詳細に振り返ってみたい。

グローバル化で一変した検疫環境

 空港に航空機が到着するたびに、防護服に身を固めた検疫官が大挙して駆け足で機内に乗り込む絵柄は、あらゆることをエンターテインメント化しようと狙うテレビメディアにとっても格好の素材となり、国は自らの取り組みを示す絶好のPRとした。だが、テレビを見ているだけでも、能力を超えた作業になっていることは容易に想像できた。

 厳重な検疫を行ったのは北米大陸からの日本到着便だけであった。昨今、特に西日本発着の海外旅行に多い韓国のインチョン空港経由の到着便については、それほど厳重な検疫体制ではなかった。また、成田空港での検疫の様子を報道していたテレビ番組では、検疫官の制止を振り切ってゲートを走り出るかのような旅客者の姿もみられたが、現在の検疫法では、強制的に身柄を拘束することはできないらしい。

 今回の行動計画のベースとなった「スペイン風邪」(注3)が流行した1918年には、大陸間の移動手段は船か飛行船しかなく、一般的だった船の場合、大西洋の横断には1週間、太平洋の横断には2週間を要した。これなら潜伏期中の検疫漏れという事態はほとんど避けられたであろう。


注3: 最初にスペインから情報発信された故にこの名称があるが、発生地は米国シカゴ近郊といわれている。


 次のパンデミック(ある限られた期間に感染症が世界的に流行すること)である1957年の「アジア風邪」、1968年の「香港風邪」の時代には、移動手段は航空機に変わっていたが、日本の国際空港は羽田空港のみであり、ジェット旅客機の客席数は100〜130席、日米間を運航する日本航空、パンアメリカン航空とノースウエスト航空はそれぞれ週に十数便だった。帰国者数も1957年は年間6万人、1968年は53万人であった。

 しかし、現在は全国の98の空港の約半数に海外からの便が到着しており、帰国者数は年間1700万人(外国人入国者は800万人)に達している。検疫の必要性、重要性はいつの時代も変わらないし、海に囲まれた日本は大陸国に比べて検疫の効果がある国である。だが、もはや従来の行動計画では、現実問題として対処が困難であることが今回の件で実証された。

ティータイム 〜インフルエンザウイルスの正体〜

インフルエンザウイルスにはA型、B型、C型があるが、大流行を起こすのはA型である。 A型ウイルスには、写真でよく見るように、球形やひも状の殻の表面に「ヘマグルチニン」(以下、H)と「ノイラミニダーゼ」(以下、N)というたんぱく質でできた2種類の突起が多数ある。このHとN、それぞれにも複数の「型」が存在し、Hには16、Nには9つの型があるといわれている。ウイルスによってその型の組み合わせが異なり、例えば今回の新型といわれたものは、Hが1型、Nが1型の「H1N1」型、トリインフルエンザはHが5型、Nが1型の「H5N1」型である。


ウイルスの殻の中にあるのは遺伝子だけであり、細菌とは異なり自分自身で増殖することができない。そこで「宿主」と呼ぶほかの生物の細胞に入り込み、その細胞の増殖機能に潜り込んで自分と同じものを作らせることで増殖する。その宿主の細胞表面に取り付いて、細胞内部に侵入するときにかかわるのがH、細胞内部で増殖したウイルスが、その細胞から外に飛び出すときにかかわるのがNである。ちなみに、抗インフルエンザ薬のタミフルは、このNに作用してNが働けないようにすることで、ウイルスが細胞の外へ出られないようにするものである。


インフルエンザウイルスは、遺伝子の形も一般の生物とは異なる。生物の遺伝子「DNA」は、はしごをねじったような二重らせん状の構造をしているが、インフルエンザウイルスの遺伝子は「RNA」と呼ばれるひも状のものとなっている。増殖の際、遺伝子のコピーミスの発生頻度が高く、変異を起こしやすいといわれており、また細胞の中に複数のウイルスが入っ てくると、それぞれの遺伝子が混ざり合った新たなウイルスを作り出すという。今回のウイルスは1918年のスペイン風邪由来の「H1N1型ブタウイルス」、A香港型の「H3N2ヒトウイルス」、北米の「トリウイルス」、ヨーロッパの「トリ・ブタウイルス」が混ざり合ってできたもの。


また、元来、ウイルスは一方的に生物に被害をおよぼすものではなく、特定のウイルスが特定の生物の細胞にだけ取り付いて、そこでおとなしく共存する関係を作っていた。ウイルスにとって、宿主の生物が死滅してしまうと、自ら増殖能力を持たないゆえに共倒れになってしまうからだ。インフルエンザも、もともとは水鳥の腸内にいるウイルスで、よって水鳥はインフルエンザウイルスを持っていても発病しない。


東南アジアには、トリやブタが人々の生活を支えている地域があるが、ウイルスにとって、トリとブタ、ブタとヒトの間には、細胞の構造に似たところがあるらしい。トリの糞を食べたブタに、トリのウイルスが感染し、豚の細胞の中でトリウイルス、ブタウイルス、さらにヒトからのウイルスが交じり合って遺伝子組み替えが起こる。 遺伝子が変わるとHの形状が変わり、トリインフルエンザウイルスがヒトの細胞に取り付けるようになる。そして、ヒトの間で高い感染力を持つ、毒性の強いウイルスが創られる可能性が生まれる。


なお、ウイルスに感染してから発症するまでの潜伏期間は「1日」から「2週間ほど」などさまざまな説があるが、実際のところはよく分かっていないらしい。


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