新型インフルエンザ対策に学ぶ組織の在り方何かがおかしいIT化の進め方(44)(4/4 ページ)

» 2009年10月08日 12時00分 公開
[公江義隆,@IT]
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計画の前提条件には、状況に合わせたフォローが不可欠

 メディアは「騒ぎ過ぎ」としたが、具体的に何が「騒ぎ過ぎ」だったのかを明らかにしていないし、「不手際」の原因を「ウイルスの毒性」におく国の言い訳もよく分からない。そこで、これらは追及しないことにして、うまくいかなった理由について素人推理を試みたい。

 まず、大規模な問題の対策を考える場合、起こる可能性が最も高いシナリオを設定し、それに基づいて対策を検討するのが一般的な方法である。今回の国の「行動計画」についても、何人かの専門家の意見を集約して、そうしたシナリオと対策を検討したのだろう。例えば、「流行第1波への対応」から「封じ込め段階」までのシナリオと対策は、およそ以下のような流れだったと思う。

  1. 新型は高病原性(強毒性)の「H5N1型」ウイルスである――WHOがそう想定しており、正当な理由を持ってこれ以外のウイルスを主張する専門家はおそらくいなかったはずだ。この想定に基づき具体策を策定する。
  2. 流行は海外ではじまり、海外からの渡航者を通じて日本に新型ウイルスが運ばれてくる――WHOの「フェイズ4」宣言で空港での検疫を強化し、新型ウイルスの国内侵入を遅らせ、情報を収集してその間に国内の体制整備を進める。
  3. 新型ウイルスが検疫をすり抜ける――国内感染者は病院に隔離して治療を行うことにする。そのために、WHOの見解に基づいて「診断基準」(注4)を作り、新型インフルエンザの可能性のある患者とそれ以外を振り分ける「発熱相談センター」、新型の可能性のある人の診断を行う「発熱外来」、感染者の隔離・加療のための「感染症病室」を各地に設置する。
  4. A型、B型ウイルスへの感染診断を15分で行える「迅速検査キット」を使った医療現場での簡易検査と、抗ウイルス薬(タミフルなど)による「重症化の抑止(場合によっては予防投与)」を診療の軸とする。

注4: 診断基準に「海外渡航者、またはそれらの人との濃厚接触者」という項目が入ったのは2が前提のためだろう。


 こうしてみる限り、至極まともな内容である。では、うまくいかなかった原因は何か?

 まず第1の問題である「H5N1型の想定がH1N1型であったこと」による最大の影響は、あらゆる局面での新型インフルエンザの感染「発見」の遅れであろう。メキシコでは2009年の年初から感染が始まっていた可能性があるが、WHOの想定と、季節性インフルエンザに症状が似ていたために発見が遅れ、まん延させてしまった。

 その後、メキシコ政府はカナダにウイルスの遺伝子分析を依頼して、ようやく「H1N1型」と判明した。強毒性の「H5N1型」であったら、症状の重さからもっと早期に発見できたはずである。メキシコ政府の遅れはそのままWHOの動きの遅れにつながった。同じ問題は日本でも生じた。

 2つ目は、日本国内の問題であるが、WHOによる「フェイズ4」宣言を受けて、国が動き出したころには、計画上「国内侵入していないはず」の新型ウイルスの国内感染がすでに広がっていた(可能性が高い)ことだ。診断基準に「海外渡航者」という条件が入っていたが、これも「国内感染が発生していない」という前提で成り立つ話である。独り歩きを始めた行動計画の内容に、誰も疑問をはさむことはしなかったようだ。結果的に新型ウイルス感染の発見を遅らせることになった(注5)。


注5: 国内最初の新型インフルエンザの感染確認は、この診断基準に反して(経緯は定かにされてはいないが)遺伝子検査を依頼した神戸の医師によってなされた。皮肉なことだが、これがなければ「従来の季節型」として扱われ、神戸が新型インフルエンザ発生地として風評被害の的になることはなかったかもしれない。


 現在では、感染の広がり状況の把握を目的に、感染集団の中からウイルスの遺伝子検査のサンプリング調査(注6)を行うようになったが、これを最初からやっておけば、1つ目、2つ目の問題の影響は軽減できたであろう。


注6: 遺伝子検査は手間とコスト、また国内の処理能力からも全患者対象に行うことは無理。


 3つ目の問題は、前のページで述べたように、平時からの弱点を一度に突かれたことだ。あまりにも早期に破たんした「発熱相談センター」「発熱外来」と入院治療体制の問題である。現在、「発熱相談センター」と「発熱外来」の機能は一般の医療機関でも担うようになったが、平時でも余力のない医療機関が、今後、重症者の入院治療に対して、どの程度の能力を割り当てられるのだろうか。まん延期を迎えたいま、重症化する感染者が増えた際の事態が大変懸念される。


 事業計画を検討する際のシミュレーションなどでは、「事業環境など、外的な前提条件が、利益などの最終結果にどの程度の影響を与えるか」を測る「感度分析」という手法をよく用いる。影響の大きい、つまり“感度の高い”パラメータ(前提条件)が、実施段階での重要管理事項となる。

 計画をブレークダウンする過程、実施する過程では、この前提条件にかかわる情報を関係者に的確に伝えるとともに、現実の状況に応じて確実に見直し、フォローすることが極めて大切である。

トップダウン、中央集権、縦割り組織が持つリスク

 乱暴な言い方をすれば、「トップダウン」「中央集権」「縦割り組織」は、一種の独裁組織である。高度な見識と秀でたビジョンを持つトップ、高い志を持つ有能なスタッフの下では、極めて効率的に、優れた成果を出すが、そうした人的条件が崩れると責任回避と自己保身に走る組織に転落する。加えて、「行政組織が行うこと・行えること」は法律で定められるから、組織は法律の写像のような縦割り構造になり、現場の人間にとっては「隣のことはよく分からない」状態になる。

 新型インフルエンザパンデミックに対する「行動計画」、例えば上述のシナリオを策定する際にも、ずいぶんいろいろなケースや問題点が検討・議論されたはずである。しかし、1つの対策シナリオを作って、その具体化を検討する組織に引き継ぐ際、それまでに検討・議論された有益な情報までは引き継がれない。こんなことを何段階か経れば、変更による影響範囲が分からないこともあり、その内容は誰にも容易には変更・修正できない状態になっていく。情報システム開発においても、上流工程の検討内容が伝えられず、開発フェイズが進むに従い、システム構築の目的が意識から消えて、構築することや、そのための方法論自体が目的化していくようなことはないだろうか。

 また、長年こんな仕組みの中にある現場は、自ずと「指示を待ち、言われたことだけをやる」体質になる。ささいなことでも「上が動かなければ、動けない」体質ができ上がる。しかし困ったことに、現場の状況については、トップや中央が十分に把握できていない場合も少なくない。現場の具体的な問題について、理解したり、その重要性を判断したりすることが、中央にとっては難しくなる。その結果、問題があっても手が付けられず、時間だけが経過してゆく状況となる。現場はやむなくとりあえずの自己防衛措置を取る。

 神戸・大阪から全国に感染が広がる中で、「最近、海外渡航したか」「海外から来た人と接触したことがあるか」に加え、「最近、関西に旅行したか」「関西から来た人と接触したことがあるか」という項目を診断基準に加える動きが各地でみられた。つまり、地方はリスクを取って自ら考えるより、中央に倣って同じ考え方を踏襲した。

 ビジネスの世界も同じだ。現場は本社に倣(なら)う。苦労してまで責任の降りかかる「自ら考え方を修正する道」を取ることはまれだ。IT業界においても、現場を知らないスタッフの企画が「現場の実情に合わない」と分かるのは、プロジェクトがずいぶん進んでからだ。そのときにはもう誰にも手が付けられない状態となっている。そして上流工程で求められたことだけをクリアし、「格好だけは付けた」といったシステムが完成する。

 つまり、「トップダウン」「中央集権」「縦割り組織」はPDCAサイクルが働きにくい構造なのだ。経験が改善につながるとは限らないのである。この体制の長所を生かすためには、各階層で“Check”“Act”が働くように、下流から上流に情報をフィードバックする仕組みと、上流側が責任を取る仕組みが求められる。第43回『変化の中で、自らを制御できるものが生き残る』で取り上げた生体調節系の話を思い出していただきたい。中央集権的に全身をコントロールする自律神経系、末端で自律的に働く免疫系の例のように、トップと現場が協調する体制が必要なのである。

 昨今、さまざまな企業において「組織の枠を超えた協力が少なくなり、現場は指示待ち体質になり、機会損失が生じている」といった話を聞くことがある。この20年、組織の効率化や個人責任の明確化が叫ばれてきたが、権力を強化した本社スタッフは、それに見合う志や責任感をはぐくんできただろうか。国の問題を基に、自社の組織の在り方をもう一度見直してみてはどうだろう。

profile

公江 義隆(こうえ よしたか)

情報システムコンサルタント(日本情報システム・ユーザー協会:JUAS)、情報処理技術者(特種)

元武田薬品情報システム部長、1999年12月定年退職後、ITSSP事業(経済産業省)、沖縄型産業振興プロジェクト(内閣府沖縄総合事務局経済産業部)、コンサルティング活動などを通じて中小企業のIT課題にかかわる


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