連載
» 2009年10月08日 12時00分 公開

何かがおかしいIT化の進め方(44):新型インフルエンザ対策に学ぶ組織の在り方 (3/4)

[公江義隆,@IT]

平常時からの社会の弱点が直撃された

 一方、国内発症に備えた地方医療機関の体制はどうだっただろうか。神戸の体制は「新型インフルエンザ感染者発生」の報で、あっという間にパンクした。神戸市は、「発熱相談センター」と、特定の医療機関の「発熱外来」の体制に見切りを付け、「まん延期」段階に準じた体制に切り替えて、一般診療機関でも診療を行うことにした。「新型インフルエンザ感染者は全員入院隔離」という当初の方針を「入院は重症者に限る」ことに変更して、軽症者は退院させた。

 ただ、先に見切りをつけたのは一般市民であった。電話がつながらない「発熱相談センター」に業を煮やした発熱者らが、大挙して市民病院の「発熱外来」に直接押しかけた。平常時さえ余力がない院内で、新設の「発熱外来」はすぐにパンクした。「新型ウイルス感染者はすべて入院させる」という入院治療体制も、ごくわずかしか準備できなかった感染病室と、看護要員の不足により、すぐに限度に達した。

 新しい方針の下、診療に当たることとなった一般診療機関も事前準備はほとんどできていなかった。例えば待合室、診察室などで、一般患者と新型インフルエンザ患者を接触させないためには建物構造上の工夫が必要だ。しかし、そうした物理的対策は短期間では実施が難しく、いろいろと苦労があったようだ。また、医師が診察時に使用する防護服やゴーグルはもとより、医療用マスクの備えも必ずしも十分ではなかった。一部ではインフルエンザウイルスの簡易型の検査キットの入手に苦労したという。つまり「水際作戦」の次の段階、「まん延期」段階の準備もほとんど整っていなかったのだ。

 神戸と大阪では、新型インフルエンザ感染者発生の確認と同時に、すべての学校、幼稚園、保育施設を休みにした。また、介護施設のデイサービスの中止、公共施設の休館のほか、不要不急の外出、集会、催し物などの自粛、人ごみでのマスク着用、手洗い・うがいの励行などが要請された。デパートやコンビニ、スーパーの店員や鉄道関係者の間では、いっせいにマスク着用が始まり、民間企業でも出張の制限やマスク着用などの指示がなされた。薬局やドラッグストアの店頭からあっという間にマスクが消えた。

 一部では「やり過ぎ、騒ぎ過ぎ」と批判された約1週間にわたるこうした非常措置によって、感染拡大は急速に沈静化した。テレビメディアは「ゲームセンターで遊ぶ高校生がいたから休校措置は無意味だ」とか、「マスクをするのは日本人だけ」などと、例によって無責任な揚げ足取りを繰り返していたが、大部分の生徒たちはまじめに外出を控えていたはずだ。

 一方、大阪では、最初の感染者の発生が「神戸とほぼ同時期」と推定されたが、新型インフルエンザの確認は神戸より後になった。毒性が強くなかった今回のケースに限れば、このことは風評被害の面で大阪にとって多少、有利に働いたようだ。

 行き詰まった神戸の状況や、保育所・介護施設の一時閉鎖の影響を受けた市民、特に共稼ぎや母子家庭からの悲鳴、客足の途絶えたデパートや商店、観光客のキャンセルが続くホテルなどからの悲痛な訴えを受けて、パフォーマンスと行動力が売り物の知事は「都市機能の回復」と書いた白旗を早々に揚げ、かつてテレビタレント仲間であった厚生労働大臣との談判に及んだ。

 そして、国は国内発生確認の1週間後になってようやく、「国内発生初期」の段階に移行したとして、従来の季節性インフルエンザのまん延期に準じた対応に切り替えた。しかし、移行が簡単にできたのはウイルスの毒性が強くなかったゆえだ。


 こうした顛末(てんまつ)を振り返ってみると、新型インフルエンザの流行が、インフルエンザ対策の不備を明らかにしただけではなく、平素からあった社会問題を一挙に顕在化させたように思える。一般の医師や感染症専門医、感染症対応の経験がある看護師の不足といった「現在の医療体制における量と質の問題」、夫婦共働きの核家族や母子家庭が多勢を占める社会構造を背景とした「老人介護、幼児保育の問題」などだ。これらは神戸、大阪だけの問題ではない。インフルエンザに限らず不測事態が起これば、ほかの都市でも同じことが起こるはずである。

 外からやってくる敵は、いつも一番弱いところを突いてくる――これは企業活動にもそのまま当てはまる。自分のかかわる組織が、常日ごろから抱えている問題や、脆弱(ぜいじゃく)な分野、機能をあらためて考えてみることが、BCPを考える手がかりの1つになると思う。

ティータイム 〜ウイルス対策に学ぶ、BCPの考え方〜

ITの世界ではコンピュータウイルスが頭の痛い問題だが、驚くほどインフルエンザウイルス問題と似た性質を持っている。「コンピュータウイルス」とはよくも付けた名前だと思う。生物におけるウイルスは、航空機網の発達により、24時間で世界中に感染症が拡散する時代になった。コンピュータウイルスも、インターネットの普及であっという間に世界を駆け巡るようになった。それを退治するアンチウイルスソフトは免疫系のようなものだし、パターンファイルの更新はワクチンの接種に当たる。引き起こす問題、求められる対策ともに、相通ずるところが多い。


コンピュータウイルスに感染したコンピュータは、ウイルスの除去が済むまで、ほかのコンピュータへ感染を広げないため、仕事がストップすることになっても、社内ネットワークやインターネットから切り離して“隔離”しなければならない。一方、ウイルス感染者は、治癒するまで他人にうつさないために隔離の必要がある。当人にとっては自由が束縛され不満を抱いても、これは一種の社会的な義務である。


インフルエンザウイルス、コンピュータウイルスともに、感染すれば被害者と同時に加害者にもなりうる。この問題は、「自分が助かるためにどうするか」ではなく、「加害者にならないためにどうするか」という発想をした方が、対策を考えやすい。“私と公”“個と全体”の利益バランスをどう取るかという悩みはあっても、結局は全体の利益の優先が、個の利益につながるという問題なのだ。


2009年5月のインフルエンザ流行の最中、神戸のデパートの外商から「いまですと、ごゆっくりお買い物していただけます」と案内があった。うまい言い方があるものだと感心したが、店を開けていてもお客はさっぱりという状況だったらしい。製造業も同じことだ。よそが休んでいる間に抜け駆けてモノ作りに励んでも、買いに来る客がいなければ在庫の山を作るのが落ちだ。結局、世の動きに合わせるしか方法はない。


日ごろBCPについて見聞していると、「平常時と同じように仕事ができること」を目指しているような方が時々おられる。しかし世間の非常時に「自分のところだけはうまく切り抜けよう」などと、利己的にBCPを考えても、おそらく実現は難しいと思う。


こんな言い方をすると反発をされるかもしれないが、世の中には不用とまではいわないが“不急”の仕事は結構あるように思う。「世の中全体やライバルが休んでいるなら、自分も一服できる」「それによって大いに困る人もほとんどいない」といった類の仕事である。逆に社会が休んでいても休めないのが、社会インフラやライフラインにかかわる事業や仕事である。


当事者や社内の論理では、重要かつ不可欠な仕事と思っていても、外から見ればそれほどでもないものもある。新聞社やテレビ局の関係者は、「非常時には自分たちの役割はますます重要だ」と信じている。しかし順番を決めて、各紙、各局が週に1〜2回ずつ新聞を発行したり放送したりすることにしても、国民は困るだろうか。これはメディアに限らない。会社の中にも「自分がいなければ会社は回らない」と思っている“長”の役職の人は多い。しかし2週間くらい海外出張しても、残念ながら組織はちゃんと動いている。


BCPを「事業継続計画」と和訳し、企業の“生き残り作戦”のようなイメージにしてしまったため、問題を大変難しくしてしまっているように思う。“Business”は「世間に迷惑を掛けないようにするための必要最低限の業務」というように考えれば、少しは考えやすい問題になる。被害者にならないよう必死になるより、加害者にならないことを考えてみてはどうであろうか。


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