この後、坂口は伊東や加藤、そのほかの社内人脈の協力を得ながら、次々と役員との面談を設定していく。
多忙な役員や部長クラスのセッティングにもかかわらず、セッティングそのものは思ったより順調に進んだ。しかし、それぞれへの説明は難航を極めた。
そして、7人中の1人である営業部門担当役員の松本専務への説明は、3日後に天海部長同席の下で実現することとなった。
天海 「松本専務、今日は新生産管理システムの件で、IT企画室長の坂口くんとご相談に参りました」
松本 「佐藤専務がマスコミに発表したあのシステムの件か?」
天海 「はい、そうです」
松本 「それで、どういう話なんだ」
天海 「詳細は坂口くんから説明してもらいますが、商品納期短縮のためにシステムの完成を3カ月延期したいという点についてです」
松本 「商品の納期短縮は、営業にとっても好ましい話だが、だからといってマスコミに発表したシステムの完成時期を3カ月も延ばすのは許されんだろう。そういう話なら、なぜこの場に佐藤くんが説明に来ていないんだ」
坂口 「いま佐藤専務は海外出張中ですので、誠に恐縮ですが、私が説明させていただきます」
松本 「こんな時期に海外出張とはけしからん……。それじゃ、話は佐藤くんが帰ってきてから聞くことにしよう」
天海 「専務、お願いです。そういわずに、話を聞いていただけませんか? 坂口くんは、まだ若いですが、優秀で的確な説明が聞けると思いますので、坂口くんに説明させたいのです」
松本 「仕方がない。天海くんの頼みなら、話だけでも聞いてやるか。坂口くんといったかね。説明してみろ」
坂口 「は、はい、恐縮です。新生産管理システムは……」
坂口は、新生産システムに、需要予測支援システムを組み込むことにより、商品納期の短縮を図れること、完成時期の3カ月の延期によって、確実に質の高いシステムを完成させられることを、カラフルに描いた1枚のマインドマップを見せながら、要領よく説明した。
松本 「その需要予測システムというのは、どういうシステムにするつもりだ?」
坂口 「工場の生産管理システムに、需要予測支援システムを組み込む予定です」
松本 「営業からの情報に基づいて、生産量が自動的に決まるのか?」
坂口 「いえ、今回はあくまで支援システムですので、営業からの情報や天候などの“生産計画に必要な情報”を工場に提供し、工場での生産計画作成に活用するシステムです」
松本 「なぜ、営業の情報と直結し、自動的に生産計画までインテリジェントに行うシステムにできないのかね?」
坂口 「今回は納期的な観点ならびに、それぞれの情報の信頼性がまだ十分な精度でないためです……」
坂口に営業経験があることを知らない松本専務は、営業の実態を知らない若造のせりふだと思い、声を荒らげた。
松本 「おい! それは、営業からの情報が信頼できないということか!!」
坂口 「それは……」
失言を取り戻そうと声を出すが、さえぎるように松本専務は天海部長に向かって、しゃべり始めた。
松本 「天海くん、こんなことをいわせておいていいのか!?」
天海 「営業だけでなくほかの情報システムにおいても、自動化するためにはまだまだ精度が足りません。これはシステムの問題というより、各部門がいかに正確な情報を提供するかにかかっています。しかし、正直にいって従来の工場は、営業のいう通りに生産をしてくれないのです。このことは、各営業支店から上がってくる報告や、仙台支店でトップセールスだった坂口くんの営業経験に照らし合わせても紛れもない事実です」
松本専務は「トップセールス」という言葉に少し驚いた表情を浮かべた。
松本 「おお、そうか。君は……。出向してきたあの坂口くんか、すまんすまん、仙台時代の活躍は聞いてるよ。そういうことなら話は変わってくるな。しかし、やはり営業の情報を直結させるようにすべきではないのかね?」
天海 「はい、いずれはそのようにしたいとは思っています。しかし、ここはニュースリリースで抱かせてしまったお客さまの期待に応えることを最優先にして、将来的に段階的なレベルアップをしていきたいと考えています」
松本 「おいおい、天海くん。君にしては優しい発言だね」
松本専務に対してでも、いつも辛らつな意見をいう天海が、営業側でなく坂口の立場でフォローしている言葉に少し嫌みを込めていった。
天海 「……」
天海がいい返せない顔を見て、満足げな専務に坂口は言葉を変えて、あらためて協力を依頼した。
坂口 「今回のシステム化と同時に各部門にお願いし、より正確な情報の提供をいただけるよう、その必要性を各部門に理解いただきたいと考えています。そして、今回の需要予測支援システムの確認をしながら、さらに精度を上げていく、という取り組みを進めて参りたいと考えています。また、システム化も重要ですが、各部門間のコラボレーションも、これを機会に改善を図っていきたいと考えています」
松本 「各部門間のコラボレーションねぇ……。それが実現したら素晴らしいことだが、本当にできるのか?」
坂口 「はい、非常に難しいと考えておりますが、少しずつですが、皆さんの理解も得られつつあり、何とかさらによくしたいと考えています」
松本 「君は若いね。まぁ、この会社には、そういう無謀とも思える意気込みも必要だね。期待しているよ。それで、商品納期短縮は確実に実現できるのか? 先ほどの説明だけだと、期待の半分くらいしかいかないような気がするが」
坂口 「はい……」
坂口は、以前から気にしていた点を鋭く指摘されたので、一瞬どうしようかと考えていた。
坂口 「いえ、今回のシステム実現で、商品納期短縮を確実に実現させるつもりですが、より確実性を上げるために、さらなる改善事項を検討中です。実現のめどが付きましたら、また、ご報告させていただきます」
松本 「分かった。まずは期待の半分でもいいから確実に実現してくれ。他社よりも1日でも新鮮なビールを届けるのがお客さまのためでもあり、営業にとってもメリットが大きいからな」
坂口 「はい、そのためには営業部門を含め、より一層のご協力をお願いしたいと考えています」
松本 「よし分かった。天海くん、坂口くんに協力してやれ。坂口くん、佐藤専務には帰国したらすぐに顔を出すようにいっておいてくれ。ところで、山本副社長にも説明に行ったのか?」
坂口 「いえ、これからです」
松本 「そうだろうな。山本副社長は、堅物だし、大変だぞ。まぁ、頑張ってくれたまえ」
坂口 「……」
ほかの役員も松本専務同様に一筋縄ではいかない人ばかりで、いつも冷や汗ものではあったが、坂口の強い思いとその意気込み、さらに、キーパーソンとして選んだ人たちの理解と協力を得て、何とか理解を示してもらえることとなった。
佐藤専務への報告は帰国後ということになり、残すは最難関の山本副社長だけとなった。
そこで、坂口は役員4人とサンドラフトの社長への根回しの結果報告と、山本副社長への説明への同席をお願いするため、西田副社長室を訪れた。
西田 「各役員の反応はどうだった?」
坂口は、例のリストを見せながら、
坂口 「皆さん、一筋縄ではいかず、何度もあきらめかけて、西田副社長にお願いしようかとも思ったりしたのですが、同行いただいたキーパーソンの方々に助けていただき、何とか説明・理解をいただけました」
西田 「そうか、よくやったな!」
坂口 「実はそれが……。一番重要な山本副社長への説明はまだなんです。松本専務も、山本副社長は手ごわいとおっしゃっており、西田さんに同席をいただいて説明に伺いたいと考えているのですが……」
西田 「う〜ん。いや、山本副社長はワシに任せてくれ」
坂口 「えっ!? あ、ありがとうございます。よろしくお願いします!」
坂口は、ほっとして、それまでの緊張から解き放たれた思いであった。
西田副社長は、この山本副社長とはライバル関係にあり、事有るごとに反発しあっていた。佐藤専務が山本副社長にすり寄る可能性を見越し、ここは自分が引き取った方がよいとの判断したのだった。
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