ITmedia NEWS >
コラム
» 2004年10月28日 11時30分 公開

テレビドラマのマルチユースの難しさ(1/2 ページ)

テレビドラマは映像コンテンツの中核とも言えるものだ。ブロードバンドの普及で、コンテンツ流通の活性化を求める声が高まる中、相変らず放送局側の対応が鈍いのではないかという指摘が数多く見られる。しかし、コンテンツのマルチユースはそれほど簡単なことではないことも理解しておくべきだろう。

[西正,ITmedia]

“放送局悪玉論”の誤解

 コンテンツ流通の活性化を阻んでいるのは放送局だと指摘する声が多い。かつて、規制緩和小委員会で、水平分離の提案がなされた背景にも、放送局からコンテンツを提供させようとのもくろみがあった。だが、結果的に、そうした提案は、放送局側を警戒させただけで終わってしまった。

 放送局側はこれまで、コンテンツ流通を活性化させようにも、著作権の取扱いが複雑であることを繰り返し訴えてきている。ところが、そうした訴えに対しても、放送局の著作権管理がそもそも杜撰(ずさん)なのではないかという指摘がなされるまでに至ってしまった。なぜだか分からないが、放送局さえその気になれば、コンテンツは流通させられると考えている論者が多いようだ。

 実際のところ、放送局側ではコンテンツごとの権利関係に係るデータベースはそろえてある。だが、放送局が特定の番組について持っている権利関係情報を開示することはできない。データベースの開示を求めたところで、事態が好転することにはつながらないのである。

 放送局が責め立てられるのも、それだけ優良なコンテンツを保有しているからなのであろうが、よくよく考えてみれば明らかなように、本来ならばコンテンツのマルチユースを最も望んでいるのは放送局の方である。

 地上波放送用に制作したコンテンツも、ファーストランの後に1、2回の再放送を行うだけではなく、DVDとしてパッケージ化するとか、CS等のペイチャンネルで流すとか、さらにはブロードバンドで流すとか、文字通りのマルチユースが可能になれば、それだけ放送局の収入も拡大する。

 放送局としては、コンテンツを抱え込んでしまうことによって得をすることなど何もないのだ。特定の局が特定のコンテンツを独占的に保有しようとするのは、あくまでも放映権を確保しておこうということで、決して出し惜しみをしているわけではない。その辺りの事情を混同してしまうと、コンテンツ流通の活性化と言ったところで、掛け声倒れに終わってしまうことになりかねない。

マルチユースの難しさ

 ではなぜ放送局はコンテンツのマルチユースに踏み出せないのか。

 コンテンツが流通しにくくなっている最大の原因は、権利者側の意識によるものである。ユーザーの利便性を高めるべく流通を重視するか、それとも著作権者の創作意欲を重視するかは、永遠のテーマのようなところがあるが、放送局の立場からすれば、権利者の意向を尊重することを最優先に考えるのは当然のことだろう。

 権利者側がコンテンツ流通に応じない理由は、流通経路が複雑になればなるほど、それだけ不正使用される可能性が高まるからだという点に尽きる。一人でも多くの人の目に触れることが望ましいと考えるからこそ、そこに著作権としての価値が生まれるわけだが、一方で、自分の関与した作品が不正使用されることを嫌うのも当然の心理である。

 出演者団体によっては、放送局のHPで顔写真を掲載することすら認めないところもある。不正使用される可能性がわずかでもあれば、許諾することはできないという考え方に対して、「ナーバスに過ぎる」とか「今どきなにを」と言ってみたところで、(当事者に対し)何の説得力も持たないことは明らかだ。

 ブロードバンドの普及に歩調を合わせるべく、コンテンツ流通を活性化させようと思うならば、権利者の了解を得るための努力を辛抱強く行っていくべきであり、その責務を放送局だけに負わせるべきではない。

放送局側の苦労

 本来ならば、放送局こそがコンテンツのマルチユースを進めたいと考えているのだが、それを実現するための権利処理作業も並大抵のことではない。

 放送局の仕事の中身は、思いの他、外に知られていないこともあって、ついつい単純に考えられがちだが、連日連夜、いわゆる著作権系の契約を行っている関係者を始めとして、どういう所に気を配っているかを聞いてみると、ブロードバンド関係の技術の進歩のスピードとはかみ合わない事情も見えてくる。

       1|2 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.